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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「マレフィセント」(2D字幕版)

ご存じディズニーの名作「眠れる森の美女」を大胆に解釈し直し、悪役の魔女・マレフィセントの視点から描いた作品。ディズニーらしい愛らしさや、CGを駆使した戦闘場面などふんだんにあり、視覚的には眼福の映像です。ただちょっと気になる箇所がありまして。監督はロバート・ストロンバーグ。
ムーア国の妖精マレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)。国の守護神として、他国からの侵略から守っています。かつて彼女は人間の少年ステファンと恋仲になった事がありますが、段々と彼は野心家となり、彼女から離れて行きました。成長したステファンは国王の臣下となり、敵対するマレフィセントを騙し、彼女の翼を切り取り、その褒美として王女の婿となります。やがて国王となったステファン(シャールト・コブリー)と王妃の間にオーロラ姫が生まれます。しかし祝いの席に、呼ばれなかったマレフィセントが現れ、オーロラ姫に呪いをかけます。心配した王は姫を三人の妖精(イメルダ・スタウントン、レスリー・マンヴィル、ジュノー・テンプル)に預ける事に。時は経ち、美しく優しい少女に成長したオーロラ(エル・ファニング)に、刻々と呪いの日の16歳の誕生日が迫ってくるのですが。
何がびっくりって、マレフィセントが妖精だった事。ず〜〜〜と魔女だと思っていました。これも脚色?ムーア国は色彩豊かな自然に恵まれ、動植物もファンタジックで、この辺はディズニー仕様。三人の妖精も、CGで小さくしてあり、ユーモラスで可愛らしいです。
ステファンとマレフィセントの出会いと逢瀬がなかなかにロマンチック。人間と妖精なので、いつか別れる時が来るのも仕方なしなんですが、裏切り方が酷過ぎ。騙し討ちなんですから。翼はマレフィセントの象徴のようなもので、体の一部をもぎ取られた彼女は、人間で言えば障碍を負わされたようなもの。それも愛する人に。目が覚め事の次第を理解した彼女の悲痛な絶叫に、心底同情してしまいました。そして観客はステファン憎しになったはず。この計算は良いのですが。
魔法をかけたものの、ずっとオーロラが気になり、彼女を見張っていたはずが、いつしか見守るようになったマレフィセント。純真無垢に育つオーロラの存在は、彼女に母性の目覚めをもたらします。私が気に入ったのは、悔悛したマレフィセントが取った行動です。自分の人生を軌道修正しようとしたのですね。
「眠れる森の美女」なんですから、もちろん王子様のキスが登場。しかし!「アナ雪」でもそうですが、王子様の役立たずぶりは、これはディズニーの確信犯でしょう。世の中に白馬に乗った王子様なんかいないよ、お嬢ちゃんたち。と言うのを、この作品及び「アナ雪」のメインターゲットの少女たちに、教育的指導をしているのかな?それはいいんですよ、自分を幸せにするのは、自分しかいないんですから。
マレフィセントもステファンも「真実の愛などない」と言います。二人の事もだし、ステファンは妻も愛していなかったのですね。その真実の愛はどこにあったか?これも「アナ雪」と落としどころは似ている。これ自体は全然良いのですが、男女に真実の愛はないと言う描き方、これは如何なものか?
女性が確固たる権利や尊重を得るには、男性の協力が必要なはず。なのにこの作品のステファンは、最後まで暴君で、マレフィセントを蹂躙し続けます。そんな父を観て、オーロラも葛藤はなし。マレフィセントが悔悛を見せたのとは対照的で、この救いのなさは、些か気になりました。
大人向けの裏テーマとして、フェミニズムをモチーフにしているのは、私は明白だと感じました。なら女同士万歳!だけでいいのかしら?ならオーロラの母は?運命に翻弄された可哀想な人だから、存在感が限りなくマイナスなの?マレフィセントに忠誠を誓うカラスのディアヴァル(サム・ライリー)は、彼女に忠誠を誓い、時にはナイトのように彼女を守るも、物申すことは忘れない。ここに理想の男性像を描いているなら、公平ではないと思う。現実で言えばディアヴルは年下の恋人か部下です。権力者であるステファンとマレフィセントの和解があってこそ、本当のフェミニズムだと思うんですが、違うのかな?
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07月09日(水)
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