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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「世界の果ての通学路」


ホントにホントに感激した作品。日本じゃ考えられない時間をかけて通学する、四カ国の子供たちが登場するドキュメント。長いだけじゃなくて、危険もいっぱいの通学路を、学ぶため一路邁進する子供達。感動して、びゃーびゃー泣きました。監督はパスカル・プリッソン。

ケニアの山岳。11歳のジャクソンは妹サロメを連れて、象やキリンの群れをかいくぐり、片道二時間の道を走り抜けます。アルゼンチンのアンデス山脈の麓、11歳のカルロスは、妹のミカを連れ、馬に乗りパタゴニアの平原を片道一時間、学校までひた走ります。モロッコの辺境。12歳の少女ザヒラは、友人のジネブやノウラと共に、月曜日の朝四時間かけて学校に通い、金曜日の夕方、また三人で家に戻ります。インドの漁村。足に障害のある13歳のサミュエルは、ボロの手作り車椅子生活。二人の弟がそれを引っ張り、賑やかに一時間15分の道のりを歩きます。

四組とも、その道のりの過酷な事。とにかく舗装したアスファルトなんてないの。文字通り山あり谷あり川あり獣あり。とにかく険しい道程です。どの家の親も、子供たちが無事学校まで辿り着けるよう、神に祈ります。祈らずにはいられない状況が、目の前で繰り広げられます。

突発的なアクシデントが各々にあり。ジャクソンは像の動向を冷静に観察し、カルロスは動かぬ馬を不審に思い、ザヒラたちはノウラが足を痛め、サミュエルたちは近道で車椅子が水没し、果てはタイヤが外れます。それをね、幼いこの子たちが知恵を絞り、次々難関を突破する逞しさが映されます。

ザヒラたちなど、解決策はヒッチハイクですよ。こんな可愛いローティーンの子たち、都会じゃ悪い大人の毒牙にかかること必死で、観ている私はもう心配で。しかしモロッコの田舎では、この子たちは単なる「子供」で、足でまといだと誰も相手にしてくれない。所変われば事情はだいぶ違うようで。

日本じゃお稽古事も送り迎えが普通ですが、親たちはみんながみんな、貧しい中必死の思いで子供たちを学校に行かせているので、送り迎えなんて悠長な事をする暇がない。そこで兄弟に託すのですね。三組とも当然のようにそれを引き受けます。その余りの自然な様子に、兄弟の事で他の子に迷惑をかけちゃいけないと思う親心は、必要ないのだと思い知ります。

ザヒラは数少ない女子生徒。多分パイオニアに近い存在なのでしょう。「しっかり勉強しなさい。お前は奨学金をもらっているのだ」と言い聞かせる父。日本も今では高校が無償の地方もあり、税金で学校に通っている事を、もっと子供に言い聞かせてもいいのだと痛感します。

家庭にいる時は、皆が皆、率先して親の手伝いをする。勉強できる事に感謝するよう教えても、手伝いはいいから勉強しろなんて言う親は、一人もいない。そして子供たちは、底抜けに明るい。もう眩しすぎて感動して涙が出る。日本も昔はこうだったんでしょう。これは子供たちが悪いの?いえいえ、そうじゃない。悪いのは大人です。

子供たちが学校に到着すると、安心して、どっと疲れました。そう、学校は子供にとって、安全地帯なのです。先進国とここが根本的に違うのでしょう。ケニアではその日当番のジャクソンが、国旗を掲揚しましたが、それは「この子達は国の宝」と、表しているように感じました。

最後に四人のインタビューが出てきます。まだ年端の行かぬ子供が、それぞれが自分の背負っているものを、しっかり自覚している事に心底感激。一生懸命勉強して自立して、パイロットになると言うジャクソン。それは家族のためにもなる事だと目を輝かせます。短絡的に働いて賃金を得るのではなく、自分の夢を叶えて、親への感謝も示せる事が目標なのです。立派な自尊心ではありませんか。彼の父は神のご加護と、勉強できる事への感謝を感じろと言ったのみ。それでも正しく親の愛を受け取っている事に、衝撃に近いものを感じました。それほど学校へ行くと言う行為は、希望に満ちたものなのです。学校とは本来そうあるべきものなのだと、改めて感じ入りました。


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05月06日(火)
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