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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「アデル、ブルーは熱い色」


昨年度カンヌのパルムドール受賞作品。カンヌ受賞作は個人的に相性が悪いのですが、これは久しぶりに狂おしくて胸が締め付けられる恋愛で、堪能しました。監督はアブデラティシュ・ケシシュ。今回ネタバレです。

高校生のアデル(アデル・エグザルコプロス)は、上級生の恋人がいるものの、周囲とは違和感のある毎日を送っています。ある日恋人とのデートに駆けつけるアデルは、ブルーのショートカットの女性に一瞬で心惹かれます。別の日、戯れてに訪れたバーで、その女性・美大生のエマ(レア・セドゥ)と再会したアデル。幾度の逢瀬を重ねた二人は、やがて身も心も結ばれた恋人同士になります。

モキュメンタリー風なフランスの高校生の日常を描きます。その様子がすごく自然で興味深いです。これが日本から考えると、随分大人なのですね。教材に古典の恋愛小説が出て来て、主人公の恋心を紐解くわけ。さすがおフランスと感心。一目惚れに行動を起こさなかったら、どういう気持ちになるか?と言う先生の問いに、「後悔する」と答えるシーンがあって、それがアデルとエマの最初のすれ違いに被りました。

同級生女子の戯れのキスに、はっきりと自分の愛の嗜好を悟ったアデル。愛の国フランスですもの、同性愛には寛容かと思いきや、これが仲の良い友人たちから猛烈なバッシングを受けます。この辺は日本に住む者の思い込みなんですね。しかし日本じゃ陰口くらいで、こんなに壮大にはやらないな。

二人のデート場面は大変美しい。少しずつ二人が距離を縮めて行く様子には、こちらまでときめいてしまいます。デートだけじゃなく、この作品の特質すべきところは、劣情を催す狂おしさではなく、身も心も醜態までも晒しながら、それでも美しいと思わす事。とにかくピュアなのです。

二人はお互いの両親に相手を紹介します。アーティステックで開放的なエマの両親は、アデルを娘の恋人として歓迎しますが、保守的なアデルの両親もエマを歓待してくれますが、あくまで友人として紹介。さりげなく自分を偽って紹介するエマ。大人の対応ですが、何も罪を犯しているわけでもないのに、自分を「隠す」と言うのは本当に辛いことです。それをごく自然にやってのけるエマに、それまでの辛さが忍ばれました。

話題の二人の長回しのセックスシーンは、私には少々長過ぎで食傷しました。あれで快感が得られるのだろうか?と言う疑問のポージングもあり、お友達から聞いた話によると、女優さん達からは、文句も出たそう。あまり官能的とは思えまえせんでした。ただ体当たりで演じた二人は、賞賛に値する熱演だったと思います(だって7分間のために、10日間もかけたんですって!)

やがてエマは画家として名が売れ始め、アデルは念願だった教師の職につき同棲生活を始める二人。芸術家やインテリばかりのエマの友人たちに、気後れして居心地の悪さを感じるアデル。そんな恋人の寂しさを思いやるどころか、アデルにも自分だけの才能を発揮しろとハッパをかけるエマ。教師と言う立派な職業に付いているのに、アデルには責められているように感じたでしょうね。また自由なエマの周囲は、彼女がレズである事を理解していますが、保守的な仕事に付いているアデルは、同僚に隠しています。アデルの両親には、上手に対応したエマなのに、アデルの辛さには頭が回りません。


「キッズ・オールライト」でもそうでしたが、不思議な事に女性同士のカップルでも、夫と妻のような役割が出来るのです。優秀な方は夫のように振る舞い、凡庸な方は妻として「夫」に尽くす。大人数の料理を一人でホームパーティーで作り、片付けものも一人でするアデル。彼女も職についていて、明日は仕事があるのに。この辺で段々無神経なエマに腹が立ってくる私。多分どっぷり主婦として女として、アデルに感情移入していたのでしょう。この辺りは、ファンタジックではない現実的な問題も浮き彫りにしています。


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04月11日(金)
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