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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「イラン式料理本」

実に愉快痛快!監督のモハマド・ジルワーニが、自分の身近な老若の100歳から若妻世代までの女性に、料理についてインタビューし、調理の様子を映すドキュメント。もう、みんなとお友達になりたいわ。特に私と同世代以上の女性たちは、翻訳機があれば一晩中だって楽しくお喋り出来そうです。台所を預かる主婦の哀歓は万国共通であると共に、しっかりイランのお国模様も見えてきます。秀作「別離」の主婦シミンが、何故あんなに娘テルメーのアメリカ留学に固執したか、それも感じ取れます。
登場の女性たちは、監督の実母、義母、妻、妹、友人の母(100歳!)、母の友人、叔母の7人です。台所に監督がお邪魔して、調理の間、自由に皆に語って貰います。口の減らない人、大人しい人、気の強い人。様々な家庭の事情が垣間見られます。
伝統的な手のかかる家庭料理を作る中年女性たちには、主婦としての誇りが感じられます。結婚年齢は一様に早く、13,4歳のローティーンだと語られ、100歳のおばあちゃんなど、何と9歳!。そして口を揃えて「姑に躾けられた。最初は何も出来ず怒られてばかり」。まだまだ自我が確立する前の結婚は、婚家に馴染みやすく口答えもせず、夫側には都合良かったのでしょうね。しかし低年齢の結婚は、=低学歴でもあります。これはセネガルの佳作「母たちの村」でも描かれる、女性たちには学をつけず、「心を閉じ込めよう」とする行為だと思います。それが当たり前だった時代に嫁いで来た母たちは、娘には学をつけ、この悪しき環境から脱して欲しいという気持ちが、「別離」のシミンだったのだと、気がつきます。
しかしながら、そんな封建的な時代もくぐり抜け、今やイランの女性もぐっと強くなったとか。イラン版肝っ玉母さんの義母が語る、嫁人生の痛快な事ったらないの。結婚当初は同居で、家族分+毎日来る友人知人のために、山のような料理を作ったとか。「夫とは日に一時間くらいしか一緒にいなかった。やっと独立して二人だけになり、嬉しくていちゃいちゃしていたら、子供が五人も出来ちゃった」。アハハハハ!この人が料理自慢のようで、「最近の若い子は料理を嫌がる」と文句を言いつつ、手のかかるイラン料理を丹精込めて作って行きます。
姑さん登場からがハイライト。「お義母さん、何故若い頃は私を苛めたの?」「苛めたんじゃない。躾たんだよ。」「あれは苛めよ。あら、お母さんがごちゃごちゃ言うから、間違ったじゃないの」「・・・悪かったよ」「いいのよ、今は私がボスだから」ガハハハハ!
と言うところで、夫が登場。母に親愛の情を示すと、「母親には挨拶して、妻には?全くこれだから」「母さんはお客じゃないか。お前には二人ががりでも勝てやしないよ・・・」「そうよ、体重だってあんたの二倍よ」。
もう圧巻の面白さ!何処の国も古女房てのは、強いもんなんですね。この強さ、苦労の数ほどスペックが上がる。妻と言うのは、とにかく結婚当初から今に至るまで、流した涙は全部覚えているもんです。うちの夫が私が初めての子を妊娠中、「俺の家系には一切悪い血は流れてないから、生まれて来た子に何かあったら、全部お前のせいやぞ」と言われた事、死ぬまでどころか、墓場に入ってもワタシ、絶対忘れませんから。だから数十分の彼女の語りで、「おしん」のような苦労や怨念がわかるのです。この辺の感覚は日本もいっしょですね。いや、万国共通の主婦感覚かな?
そんな義母に育てられたはずの監督夫人は、インスタント料理のオンパレードで、急に友人を連れて来た夫を詰る詰る。まぁ気持ちはわかるけど、開き直りは戴けません。ちょっとくらい恥だと思わなきゃ。それは「料理を作るのは妻」と言う概念に、不満がいっぱいなのでしょう。
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10月20日(土)
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