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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「トガニ 幼き瞳の告発」
打ちのめされました。目を覆いたくなる内容は、現実に起こった実話です。韓国の人気作家コン・ジヨン(女性)が、偶然新聞で見つけた小さな記事。内容がよくわからず、彼女が調べ始めた事がきっかけで、このおぞましい事件は小説となり、こうして映画化されます。映画を観た国民たちは、腐敗した警察や教育者を糾弾します。この作品がきっかけで再び警察は捜査を再会し、ほとんど「お咎めなし」の状態だった容疑者たちや学校に罪を償わせ、廃校にまで追い込んだそうです。作品としての完成度は決して高くないと思います。しかし社会を動かした、その力強さの前には、そんな事はどうでも良くなりました。監督はファン・ドンヒョク。
韓国の片田舎ムジン。イノ(コン・ユ)は、そこにある聴覚障害者の学校の美術教師として、赴任します。妻は亡くなり、幼い娘は母と共にソウルの残しています。学校には不穏な空気が流れ、子供らしい溌溂さの欠ける子供たちに疑問を感じるイノ。その上双子の校長や行政室長は、公然と教職に付くための賄賂を要求します。ある日自分の生徒ヨンドゥ(キム・ヒョンス)が、寮の寮長にすさまじい暴行を受けているのを助け、ムジンで知り合った人権センターに勤めるユジン(チャン・ユミ)に連絡を取ります。ヨンドゥと話したユジンは、男女数人の生徒が、校長を含む教職員から性的暴行を受けていると、イノに連絡してきます。
「闇の子供たち」を見た時と同じ憤りを感じました。教師たちの毒牙にかかった子達は、自身も聴覚障害者なら、親も知的障害や精神障害を負っていたり、孤児である子です。底辺の弱者と言う共通項があります。そういう子を選んでいるのです。私は成人した大人がどんな変態的な性癖を持っていようが、犯罪でなければ個人の自由だと思っていますが、小児性愛だけは断じて許せません。目の前に描かれる「現実」は本当に居た堪れません。作り手がこの子たちが感じた恐ろしさや辛さ、それを観客に体感して欲しい、その思いがこれらのシーンを生んだように思います。
イノは長く失職しており、この職場も恩師の紹介でやっと入職出来た職場です。大黒柱として働かなくてはならない身。告発すれば学校には居られません。見て見ぬふりを決め込む「大人の倫理」と、本来の彼が持つ正義感との葛藤も描かれ、私なら?と観客の自問自答を促しています。
作品は、はっきりイノの行動を支持します。一見口喧しいイノの母の存在で、それを表します。ズケズケ息子に物を言うこの母は、夭折した嫁が息子に尽くしてくれた事を今でも感謝し、校長に渡す賄賂のため、家まで売ります。教え子の窮地に奔走する息子に、「賄賂を要求する校長が良い人だと思うはずがない。しかし世の中とはそういうもの。お前が一番に考えるのは、教え子ではなく自分の子供だ」と言います。全くその通り。しかしそれは「賢い」生き方ではあるけれど、「正しい」生き方ではないのです。
どちらを選択するか?裁判で命懸けで証言する子を見て、「世の中には悪い大人もいるものだ」とだけ言い、子供たちにお菓子を渡す母。あれは私たち観客なのでしょう。息子を理解し支えると決めたのです。賢い生き方を選択すれば、安定した道は開かれるでしょうが、いつもいつも後暗い心を引きずるはず。何故なら人としての尊厳が失われたままだからです。
公開された韓国映画を観ていると、残念ながら、まだまだ権力者の圧力が蔓延り、富める者貧しき者の格差は歴然です。この作品でも即物的に金銭を受け取る被害者の親族が出てきます。無念ですが、その気持ちはわかるのです。警察や司法、財力者の腐敗は、日本よりずっと大きく、そしてそれを社会はまだ容認しているのでしょう。
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08月12日(日)
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