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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「おおかみこどもの雨と雪」

「時をかける少女」「サマーウォーズ」と秀作を連発、映画ファンには監督の名前だけで見ようと思わせる監督の細田守。今回は狼男と人間の恋、そしてその子供たちと言うファンタジックな設定ですが、子育てや人生の価値観など、驚くほどリアルに考えさせられる作品となっています。あざとさなど全くないのに、最後の方は涙々で、劇場を出るとき恥ずかしい程でした。
はな(声・宮崎あおい)は、都会に一人暮らしの大学生。両親とは死別し、奨学金とアルバイトで生計を立てていました。ある日一人の男性(声・大沢たかお)と知り合い恋に落ちます。しかし彼はニホンオオカミの血を引く狼男でした。ピュアな心で彼を受け入れるはな。そして二人の暮らしが始まります。程なくして妊娠するはな。姉の雪、弟の雨と恵まれ、慎ましく幸せに暮らしていた四人でしたが、狼男が突然事故死してしまいます。人間の子供とは異なる二人が伸び伸び暮らせるよう、人の少ない田舎に引越しを決意します。
狼男は、はなと付き合った当初、自分の素性を言い出せません。これは国籍・学歴・病気・家庭など、様々な重荷を抱える人々に当てはめて考えられると思いました。今まで対人関係で傷つく事も多かったはずです。それを乗り越える勇気を与えるものが、はなにはあったのでしょう。対するはなは、母を早くに亡くし、男手一つで育ててくれた父も他界。身よりもなく、奨学金とアルバイトで生計を立てていると言う健気な少女です。この生活では、友人と遊ぶ事もままならなかったでしょう。はなが狼男を愛する人とピュアな気持ちで受け入れられたのは、他者からの情報の薄さもあったのではないかと感じました。気持ちが惑わされる事がなく、損得よりも自分の気持ちに忠実になれた。私は決して独り身の寂しさだけではなかったと思います。
野生の血の混じる子供たちを、人と接触させずに伸び伸びと育てたいはな。嘘をついて、自分の出自を隠して生きる辛さを、この若い母は予想できたのでしょう。しかし過疎地の村を選んだのは、誰とも接触せずに暮らすためだったはずなのに、健気に子供を育てる彼女に、何くれとなく世話してくれる村の人たち。それが居心地よい田舎暮らしを、親子に教えてくれます。これも人も家庭も、本人の好き嫌いに関わらず、自分たちだけでは生活が成り立たないと言いたいのでしょう。
私が感心したのは、はなが子供たちの父親がいない中、独りで懸命に子育てを模索し、子供のためだけに生きていた事です。「子供が愛せない母」。この思いが取り上げられたのは、今から十数年ほど前でしょうか?当時大反響でした。その投書を取り上げた雑誌は、最初は、母親なら当たり前の母性が何故出せぬのか?問題提議だったはずです。慣れない育児に疲れて迷い、本来出るはずの母性が出せぬ母親たち辛く苦しい気持ちに寄り添い、一緒に考えようという趣旨だったはずです。それがいつの間にかひとり歩きし、「その気持ちは当然。幼児のいる母親にも息抜きを。もっと自由を与えるべき。何故なら育児ノイローゼになっては大変だから。」と言う勝手な解釈がまかり通っているように、私は思えてなりません。そうではないのです。母親が子供を愛せない。それは明確な不幸であると、何故母親に言えないのか?辛い気持ちを受け入れて自由にさせるのではありません。理解はしてあげても、肯定してはいけないと思います。子育てとは本来親にとって「不自由なもの」で当たり前なのですから。
女性の80年余りの人生のうちで、子供と濃密に関わるのは、たったの十数年。この時代、子供を第一にして生きる事は、母親の人生に輝きと自信を与えるものだと、私は思います。疲労で窒息しそうな母親には、遊びの時間ではなく休息と、会話で不安を取り除く先輩でありたいと、私は思っています。
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07月26日(木)
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