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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「キャタピラー」
2010年、主演の寺島しのぶが、ベルリン映画祭で主演女優賞を獲得した作品。戦争により翻弄された夫婦を軸に、反戦を描く作品という触れ込みでしたが、妻の描き方は良かったものの、夫の描き方が食い足りず、そのため反戦の印象も散漫になった気がします。監督は若松孝二。

戦時中の田舎。シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)は、戦地で四肢を失い、顔は火傷で半分焼けただれ、耳も聞こえなくなった体で帰還します。お国の為にこのような体になったと、軍神と崇められ、勲章をつけられて。以来夫の世話をするシゲ子も「軍神の妻」として、夫の介護とともに不自由な生活を余儀なくされます。次第に夫への愛憎を募らせていくシゲ子は、やがて夫をいたぶる様になります。

84分と短い作品なので、興味本位で観られるであろう久蔵の姿は、すぐに画面に登場します。田んぼに飛び込む半狂乱の妻。夫への哀れと、これからの生活への絶望感がない交ぜになったその姿は、早くも寺島しのぶの演技派女優の力量を見せつけます。

出征前、妻にたびたび暴力を振るっていた夫は、四肢を失い言葉を失っても尚、言葉なき声で妻を威嚇します。旺盛な性欲と食欲に閉口しつつ、懸命に尽くす妻。

戦争で障害者になった夫を、妻の視点で観ると、全く文句ありません。この夫婦、妻に子供が出来ない事から、理不尽に夫から暴力を受けていた描写もあり、元から円満な愛し合う夫婦ではなかったようです。しかし夫婦と言うのは不思議なもので、憎しみはお互いあっても、情と言うのは残るもの。

帰還の日、夫の姿に嘆き戸惑っていた妻が、尿意を訴える夫の放尿を確認して思わず微笑むシーンが秀逸。夫の生を確認した瞬間です。夫婦の営みも、最初は夫の要求に応えての無機質な排泄行為のようなものから、段々愛撫めいた所作が入り始め、ちゃんとしたセックスになって行きます。「まだですか?」と、うんざりした様子を見せながら、妻が夫の性を征服していくことに快感を感じ始めているのがわかります。

そして食。物資の不足している折り、皆が満足に食欲を満たしてはいないのですが、夫の要求に不承不承ながら、自分の器からも夫に与える妻。同じ食器で同じスプーンで、夫の口の端の食べこぼしも、妻は自分の口に運びます。この夫婦、愛は少ないのでしょうけど、しこたまの情はあるのです。特に妻が。この辺の描き方は過不足なく、血より濃い夫婦の不思議が、異常な背景を元に秀逸に描かれます。

世間の「軍神の妻たれ」という強制を逆手に取り、貞淑に尽くしているように見せて、いやがる夫を世間の晒しものにし始める妻。当然ながら二人の力関係は逆転して行きます。一見サディスティックに見える妻ですが、これは彼女なりのストレス発散であり、いたぶった後に妻が泣きじゃくりながら夫を抱き締め、「寝て食べて寝て食べて、二人で生きて行きましょう」と号泣する場面には、思わず涙が出ました。

誤解を恐れず言えば、セックスの相手をすること、おいしいご飯を作って食べさせる事、もし妻に二つしか求めてはいけないと夫たちに問えば、この二つが残るのではないでしょうか?妻に取って、食と性を満たすと言う事は、お互いが夫であり妻である確認でもあったのでしょう。執拗に出てくるセックスシーンを観て、私が感じた事です。

しかし一方夫の心情の掘り下げが甘いです。大西信満は熱演していていましたが、描き方に工夫がないです。妻になぶられる屈辱は表現していても、その後媚を売るような所作がないです。妻がいなけりゃ生きられないんですから、もっと卑屈さが滲む場面があってしかるべきでは?

そして何度も繰り返される戦場でのレイプシーン。勝ち誇って上に乗る妻の顔に、当時の自分を思い出し、初めて彼女たちの恐怖と屈辱感を知ります。しかし戦場のトラウマはこればっかりです。昔の記録フィルムがたくさん画面に流れましたが、それより夫の戦時下の回想シーンを織り込む方が、効果的だったと思います。


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08月19日(木)
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