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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「フローズン・リバー」


2008年度サンダンス映画祭グランプリ作品。名脇役女優のメリッサ・レオが、今作品で2009年度オスカーの主演女優賞にノミネートされています。もっともっと重苦しい母性充満の作品かと思いきや、意外と想像できる範囲内の描き方で、幅広い層に受け入れられる秀作だと思いました。監督はこれが長編作品は初めての女性監督コートニー・ハント。脚本も担当していますが、唸りたくなるほどこちらも秀逸です。

1ドルショップでパートで働くレイ(メリッサ・レオ)。ギャンブル依存症の夫は家にあるお金を全部持ち去って出奔。そこには新しい新居である、トレーラーの資金も入っていました。途方にくれるレイは、夫を探しにいったビンゴ会場で、偶然夫の車を発見。しかし若い女性が乗って行くのを目撃し追跡。女性はモホーク族の保留地に住むライラ(ミスティ・アッバム)。ライラは国境近くのカナダからの密入国の手伝いをしており、その場の成り行き上レイも手伝うはめに。ライラは夫を亡くし、一人息子は姑に取られ、息子と暮らす為の資金を貯める為この稼業をしていました。お金の必要なシングルマザー二人は、コンビを組み密入国に手を染める様になります。

冒頭途方にくれたレイの顔のアップにびっくり。メリッサは今年50歳の人ですが、年齢よりさらに老けて見える深い皺が顔に刻まれています。そして一筋の涙。嗚咽を漏らさないその姿に、万策尽きているのだとわかるのです。このシーン、本当に絶妙のタイミングで撮られており、すっかり感心しました。

レイの子供は15歳と5歳の男の子が二人。子供たちに夫の悪口は言いませんが、長男には母の父への憎しみが伝わっています。なけなしのお金を渡し、お昼代にしろと言い二人を学校に送り出します。着替えの時に見えたレイの身体の無数のタトゥーは、彼女の過去を物語り、家は貧しい白人の象徴のようなトレーラー暮らし。自分が学校を辞めて働くと言う長男を押しとどめるレイの姿からは、何としても子供たちだけは教育を受けさせ、この環境から抜けださせたい母心を強く感じます。

先住民であるモホーク族ですが、アメリカ政府の容認の元、部族会議を開き自分達で自治しているようです。政府との友好関係を維持していくためにも、犯罪は御法度。ライラの夫も同じ犯罪に手を染め亡くなっており、彼女は仲間たちから再び法を犯さないよう、見張られています。

まともな職もなく貧困にあえぐ母二人。一人は女としての盛りはとうに過ぎ、もう一人は容姿に恵まれず。女を武器に生きる事は出来ません。各々が子供のために出した切実な答えが、犯罪でした。しかしお話は、彼女たちに同調するように見せながら、少しずつ小見出しに、その生き方を否定するのです。

レイは常に銃を持ち歩き、夫も探さない。誰にも相談せず何事も自分だけで片付けようとします。さぞ頼りない夫だったのでしょう。彼女の「私が私が」という気持ちは、痛いほど実感出来ます。しかし子供たちは二人とも父を恋しがり、長男は良い父だったと断言します。母が仕事の間、幼い弟の面倒を見るのは兄の仕事。その温かい接し方は、私は彼が父にしてもらったことだと思いました。遊びたい盛りに毎日子守りです。しかしレイは労うどころか、如何に自分が大変かを息子にぼやくだけ。不始末をすれば怒鳴り散らす。父を詰る母に、「32ヶ月はギャンブルをしなかった」と口答えする長男。彼には頑張っても頑張っても認めてもらえず、妻に追い詰められた父親の気持ちがわかるのです。世間はプロセスがどうあれ、結果だけで判断するのが常。だから家庭だけでも、頑張ったプロセスを認める事は、必ず明日への活力になるのだと、私は思います。その役割をするのが、母・妻ではないでしょうか?結果長男も優しさから、犯罪の真似ごとをしてしまうのに、母はその心の中を観ようともせず叱るだけ。親が曲がれば子供も曲がる。それがレイには見えない。


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03月10日(水)
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