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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「私の中のあなた」
生と死の尊厳を真摯に見つめた、あざとさのない難病もの。死の迫る少女の痛々しさを描きながら、平行して母親の業も描いていました。お友達によると、監督のニック・カサベテスには心臓病のお子さんがおられるそうで、こっちは裏テーマかも。半分くらいからずっと泣きっぱなしでした。姉役のソフィア・ヴァジリーヴァとキャメロン・ディアス、とっても頑張ってます!
11歳のアナ(アビゲイル・ブレスリン)は、2歳の時白血病を発症した姉ケイト(ソフィア・ヴァジリーバ)の命を助けるため、遺伝子操作から生まれた女の子。しかし生まれた時から、健康な体を傷つけられ続けたアナは、もう臓器提供はしたくないと、勝率91%という辣腕弁護士キャンベル(アレック・ボールドウィン)を雇い、ブライアン(ジェイソン・パトリック)とサラ(キャメロン・ディアス)の両親を訴えます。
まず冒頭、自分が遺伝子操作で姉のために生まれてきたアナの、何とも言えない寂しさのこもる独白が流れます。「ガタカ」で描かれていたことが、本当に行えるようになったのだなぁと思いつつ、生の誕生という神の領域に、人間の関与はどこまで許されるのかという疑問に、一つの答えを出しているように感じます。しかしラストのアナ自身の独白では、全く別の答えが出てきます。
猛々しいまでに子供を愛するサラは、母親以外の人には、どう見えるのでしょうか?予告でも流れていましたが、抗がん剤の副作用のため毛が抜け落ち、外に出るのを嫌がるケイトに、自らもバリカンで坊主頭にしてしまい、娘を連れだすサラ。一見母心の美談に描いていますが、この有無を言わさぬ強引な「母性」に、家族みんなは抑圧されています。そのことにサラだけが気付きません。
少し距離を置いて妻と娘に接する父。何度も妻に助言をしたでしょう。しかし聞き入れぬ妻。子供が死んでしまうことを受け入れられない妻の気持ちが、同じ親なればこそ痛いほど理解出来るのでしょう。やはり子供は母親のものなのかと、誠実な寂しさを漂わす父。
寂しいのは弟ジェシーや妹のアナとて同じです。しかしアナは多大な犠牲を払っても、自分の存在で姉が生命を得ているという自負もあるでしょうが、ジェシーの場合は行き場のない寂しさを、夜の街をさ迷い歩くということで、解消しています。不良になることも出来たでしょう。しかし難病の姉を中心に回っているこの家では、他の子供が曲がる事なんて御法度です。彼らも母を理解しているのです。病気の子を盲愛する母親と、寂しさを託ちながら、二人を愛する家族という図式を丁寧に丹念に描いて、胸に沁みます。
母親の理想の在り方としては、多分間違っていることも多いだろうサラ。客観的に観てはそう思えても、私はサラの気持ちが本当に痛いほどわかります。ガンであった私の母が、もう今日明日には亡くなると言う時、妹と交代で私は母に付き添っていました。その日は次男の4歳の誕生日。眠り続ける母の病室から出た私は、電話口から二人の息子の面倒をみてくれている姑と兄嫁に礼を言い、夫に頼んであったプレゼントとケーキの確認をしました。
病室に戻り昏々と眠る母を観て、私は初めて自分が何てひどい娘かいうことに気付き、涙しました。健康に育っている次男には、来年も再来年も誕生日は来ます。それに引きかえ、自分を生んでくれた人は、今亡くなるかもしれないのに、私は幼い息子が、私のいない誕生日に寂しい思いをすることが心配だったのです。これが逆だったら、私は母の誕生日なんて、意識外だったことでしょう。母だって同じ思いを抱いて、私を育ててくれたはずなのに。母が亡くなったのは、その翌日です。
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10月11日(日)
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