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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「切腹」

映画史に名を残す傑作ですが、私は全くの未見。観るならどうしても劇場で観たく、以前新世界の劇場で上映されていたので、本気で行こうかと思ったほど熱望していた作品です(夫に「何を考えてるねん!」と怒られて止める)。今回撮影監督の宮島義勇特集を上映中の、シネヌーヴォで観てきました。朝10時20分の回を観ましたが、劇場はオールドファンで8分くらいの入りで、私より若い方はほとんどおらず。しかし現代の世相に驚くほど酷似していると思われる描写も多々あり、今見ても全く色褪せない傑作でした。本当に感激!今回は役名ではなく、俳優名で書きます。
関ヶ原の戦い以降、幕府により改易が進む江戸時代。地方から食いつめた浪人が江戸には溢れていました。生活に困窮した浪人たちは、各大名の外屋敷に出向き、「生き恥を晒すより、武士として潔く切腹して果てたい。ついてはこちらの屋敷の庭先をお借りしたい」という奇妙な申し出が相次いでいました。血で屋敷を汚されたくない藩元は、何がしかの金を浪人に渡すという、いわば集りが横行していました。今日も井伊藩に元福島藩の津雲半四郎(仲代達矢)という浪人が、切腹を申し出ます。またかと応対した井伊藩家老(三国連太郎)。しかしこれが藩を揺るがず大事件に発展するとは、思いもよらなかったのです。
仲代達矢主演・監督小林正樹という以外、予備知識は全くなかったので、ケレンのない重厚なオープニングで、脚本橋本忍、音楽武満徹と出たので、まずほぉ〜!(無知でごめんね)。出演者も丹波哲郎・岩下志麻・三国連太郎・石浜朗など、錚々たる面々で、いやが上にも気分はマックスで盛り上がります。
テーマは武士道の欺瞞をあばく、ということでしょうか?面倒くさいので仲代には引き取り願おうと、同じように切腹を申し出た千々岩求女(石浜朗)は、望み通り切腹させたと語る三国。自分の藩は金は出さないよということです。
確かに金目当てであった石浜は、武士の風上にも置けない不埒者なのでしょう。しかし一旦は召し抱えるそぶりを見せ、ぬか喜びさせながら、実は切腹させようとする井伊藩の家臣たちの心映えは、本当に武士道に乗っ取ったものなのか、非常に疑問が湧きます。弱者に正論を押し通す恐ろしさ。弱いから正論を貫けないのです。その弱さがどこから来るのか、誰も気にも留めません。何度も「一旦家に帰らせて欲しい」と石浜は懇願します。私は妻子がいるのだと思いました。許さぬ井伊藩の家臣たち。追い打ちをかけるように、竹光しか持たない石浜でしたが、その竹光で切腹するよう命じます。竹光などで切腹出来ないのは、素人の私でもわかります。案の定目を背けたくなるような場面が目の前に。武士の情けはないのか?と怒りたくなるように作ってあり、のちのちの伏線にもなってあります。とにかく凄惨ですが、見応えのある秀逸なシーンです。
切腹前に自分の身の上話を聴いて欲しいという仲代。実は石浜は仲代の娘婿でした。福島藩士であった二人ですが、改易後江戸に出てきて、浪々の身ではありますが、娘(岩下志麻)と石浜とは仲睦まじく、男子の孫にも恵まれて、清貧の暮らしに、彼らは幸せを見出していました。私は時代劇を見るといつも思うのですが、藩とは今で言うと会社だということ。上役の顔色を伺うこともない気楽な今の生活が楽しいと語る場面など、正にそうです。
しかし心豊かな清貧な暮らしが楽しいというは、適度な貧乏であるからです。死ぬの生きるのと言う貧乏に喘ぐ時、そのようなことは言えないのです。岩下が病に倒れ、夫と父は金に換えられるものは、全て金に代えます。石浜の死後、娘婿が自分の娘のため武士の命である刀を売ったと知った時、遺体にすがり泣きながら謝る仲代に、私は号泣。自分は父親であるのに、これだけは武士の魂と売ることが出来なかったと、その「さもしい」気持ちを娘婿に詫びるのです。
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09月21日(月)
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