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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「レボリューショナリーロード /燃え尽きるまで」

お友達のTAOさんの、「さすがはサム・メンデス」という一行で、矢も楯も堪らなくなって、本日夕方観てきました。私が現役監督で大好きなのは、フェルナンド・メイレレス、ギレルモ・デル・トロ、そしてこのサム・メンデスです。メンデスと言う人はイギリス人ながら、一見アメリカを辛辣かつ皮肉に描いているようですが、決して高所から見下ろすのではなく、実は深い愛情と理解を持って、アメリカを描いています。その辺に品性と知性を感じさせるところが、私がこの人を好きな所以です。今回レオとメンデスの妻でもあるケイト・ウィンスレットの「タイタニック」コンビで、1950年代のアメリカの、中流家庭の悲劇を描いています。
1950年代のアメリカのコネチカット州郊外の住宅街。”レボリューショナリーロード”と呼ばれる街に、フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)夫妻は、二人の子供と共に住んでいます。若かりし日々の夢は何処へ、フランクは家族を養うために面白味を感じないサラリーマン生活、エイプリルも女優への夢を断念、専業主婦として生活しています。お互い不満が積もり、夫婦仲にも支障をきたし始めた時、エイプリルはその打開策として、家族でパリへ移住しようと提案します。
冒頭夫婦喧嘩する二人に、あぁ昔を観ているようだと思う私。二人は妊娠がきっかけで結婚したようで、結婚七年です。未婚の人から見れば倦怠期でしょう。でもその四倍近くの年月、夫のいる身の私としては、あの頃の自分は何も夫婦のことがわかっていなかったと、今なら振り返れるのです。相手が譲ればこちらが意地になり、譲った方が怒れば今度は意地になった方が、向こうが追いかけてくるのを待つ。お互い争いを避けるための手立てが分からず、呼吸が合いません。それが手に取る様にわかり、なかなか上手い描き方です。
「私たちは特別な選ばれし人間のはずなのに」。このような不満は私にはなかったのですが、「こんなはずではなかった」なら、思わなかった人はいないでしょう。その思いに囚われながら、受け入れつつ生活している現実主義者の夫と、どうしても我慢がならない世間知らずの妻。妻の提案を夫は一度は受け入れますが、仕事で成果を出し、出世がちらつくと、その気持ちは揺れ動きます。
観客にはフランクの方が受け入れやすいでしょう。私もそうでした。エイプリルは、自分で提案した夢物語にうつつを抜かす、未熟な妻に感じると思います。しかし本当にただの甘ったれなのでしょうか?夫は会社という「社会」で頑張れば認められ、息抜きもでき、そして束の間の情事も楽しめる。
しかし妻は?良妻賢母であることが当たり前の、家庭に縛りつけられる時代です。仕事に向き不向きがあるように、結婚に向かない女性もあるでしょう。女が結婚しないという選択が認められなかった時代、自分に対し嘘をつけない不器用なエイプリルの辛さが、共感はせずとも私には理解出来ました。
壮絶な修羅場と蜜月を繰り返す二人。これも長い夫婦生活にはあることです。一見フランクの言う事が常識的で正しいのですが、夫婦という「個の単位」では、常識より相手を受け入れられるかどうか、私はその方が重要なのだと思います。この作品では驚くほど、子供達の存在が希薄です。これは原作もそうなんでしょうか?「子はかすがい」という言葉が、日本にはありますが、それは夫婦<家庭を表すと言ってもよいでしょう。あくまで夫婦と言う観点から家庭を顧みるというところが、アメリカらしいなと思いました。
エイプリルをただの我がまま妻に思わせ無かったのは、ケイトの好演もありますが、キャシー・ベイツの息子に扮した、精神病を罹患しているマイケル・シャノン演じるジョンです。みんなが夫妻のパリ移住を戯言と陰口を叩く中、ジョンだけが素晴らしいと誉めたたえます。そして雲行きが怪しくなると、フランクを罵倒しエイプリルを慰めます。魂が共鳴し合うようなジョンとエイプリルを観ると、常識の枠からはみ出す自分を貫こうとすると、その不器用さ故、精神が病んでいくのだとわかります。不器用=純粋とも取れました。
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01月25日(日)
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