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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ブラインドネス」

こんな映画サイトを運営している人が一番困る質問は、「一番好きな映画は?」だと思います。一応私はジョージ・ロイ・ヒルの「リトル・ロマンス」だと言っていますが、考えるのが面倒だから、この作品だと決めている節もあります。でもこの10年間でと限定付きだったら、胸張って即答できます。それはこの作品の監督であるフェルナンド・メイレレスのデビュー作「シティ・オブ・ゴッド」です。二作目の「ナイロビの蜂」も大いに気に入り、私的には10割打者の監督さんです。なのでこの作品もとても期待していましたが、見事10割維持。この題材でイニャリトゥだと、多分私にはケッ!と感じる作品に仕上がるような気がするので、監督との相性は本当に大切だと思います。
アメリカのとある都市。車を運転していた日本人男性(伊勢谷友介)が、突然失明します。その状態は真っ暗になるのではなく、ミルクが溢れたように目の前が真っ白になるというもの。妻(木村佳乃)に連れられて眼科医(マーク・ラファロ)に受診します。しかし原因不明のこの病気は強い感染力を持つ伝染病で、少しでも関わった人々は全て、失明していきます。各地で同様のことが起こり治療法も不明なため、政府は緊急対策として発病者を隔離施設に入れる事にします。ただ一人、何故か感染しない眼科医の妻(ジュリアン・ムーア)。彼女は失明したと偽り、夫と共に隔離施設に入ります。
隔離施設に入るのに、年齢性別人種役職など、目が見えていた頃の立場は全て無視。たった一つ感染したという理由だけで入れられる様子は、ナチスが「ユダヤ人」というだけで、収容所送りにしたことを連想させます。罪のない感染者の行く末に、繰り返してはならないはずの歴史を、人はパニックになると、いとも簡単に忘れるのだと暗示しているようです。
隔離施設とは名ばかりで、古い精神病院の病棟を使用する施設。そして本来なら保護されるべき感染者は、彼らだけで生活していかねばなりません。昨日今日失明した人ばかりで暮らすのですから、全ての人が介護が必要な状態で、基本的な衛生状態も保てず劣悪していく環境。たった独り目が見えるムーアは、かいがいしく患者たちをの世話をしていきますが、それも限りがあります。衣食住は人間としての最低限のものさえ満たされない惨状で、目の見える彼女には精神的にとてもきついものです。そしていつ自分が感染するかも知れないという恐怖とも戦う彼女には、かなりの疲労が蓄積されていきますが、へこたれません。
以前オウムの麻原彰晃が盲学校に通っていた時、ほとんどが全盲の中、弱視程度に目が見えた麻原が、盲学校で王のように君臨していたと読んだ記憶があります。なので私は、きっとムーアが救世主になるのだと想像していたのですが、彼女は知らず知らずに夫が語る、「君は妻ではなくなって、母か看護師のようだ」になっていきます。これは女性としての特性なのか?それとも本人の素養なのか?この疑問は、ラストに答えてもらえました。
反対に第三病棟の元バーテン(ガエル・ガルシア・ベルナル)には、麻原のような理由が見え隠れします。徒党を組み食欲・物欲・性欲をむき出しにする彼ら。こんな状況になっても、協調より強欲な方に心が向かう人間もいるのは、どこの国の戦中戦後でもあったことでしょう。そうなのです、ここは戦場なのです。
そして食欲という、人間としての一番基本の欲に支配される人々。そのために人間としての尊厳も奪われようとします。「人はパンのみにならず」と言いますが、それはあくまで「人」であるならの話。今の状況はそれ以下だと示しています。しかし男性は尊厳を放棄するのに対して、女性はしたたかに立ち向かおうとするように感じました。相手には通じずとも、彼女たちは決して泣きながら凌辱されたのではありません。ここに女性ならでは力強い生命力を感じるのです。
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11月27日(木)
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