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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「コドモのコドモ」


画像のように、本当に幼い小学生女子が妊娠出産するお話。あちこちで喧々諤々、論争が巻き起こっている作品なので、平日でも超満員だと思いきや、テアトル梅田の大きい方のスクリーンはガラガラ。私は平日に観る事が多いですが、いつもシルバーの方がいっぱいです。どうも題材から嫌悪感持たれちゃったかな?こういう「あり得ない」お話を上手く作るには、細部の描写のリアリティが重要だと思いますが、その辺が、実際とは少し距離のある固定観念的に思えます。主軸の11歳女子妊娠出産も、出産を経験した私から観るとまるでお花畑で、なんだかなぁ。ただし子供たちが健闘していたので、腹の立つような作品ではありません。今回ネタばれです。

とある地方都市。小学校五年生の春菜(甘利はるな)は元気な女の子。同級生のヒロユキ(川村悠椰)と、「くっつけっこ」なる遊びを、興味本位でしてしまします。東京から来た担任の八木先生(麻生久美子)は、父兄の反対を押し切り性教育の授業をしますが、そのことで春菜は、自分が妊娠してしまったことに気付きます。春菜から事の次第を聞かされた学級委員の美香(伊藤梨沙子)は、子供を産みたい春菜の心に共鳴、クラス一丸となって、春菜の出産に向けて団結します。

子供達は本当に愛らしいのですが、その日常はリアルと大人の想像が半々。性教育の授業に、エロだ何だと囃し立てる男子たちや、あり得ない状況ですが、親や教師に内緒で事を運ぼうとするのも、子供らしい純真な感覚です。赤ちゃんは可愛いですもんね。バレたら出産まで漕ぎつけるのが危ないくらいは、五年生ならわかるはずですから。その気持は私も素直に受け取れます。

仲良しの女子同士が、些細なことで絶交したり、また仲良くなったりはよくある話で、微笑ましく観ていました。しかし女子とは恐ろしい生き物で、これだけじゃないのだね。大概の学年には「女王様」なるものが存在し、権力を振るっているのが現実です。早い時は幼稚園から始まります。なので感傷をくすぐる、イイとこ取りだけしている気が、ちょっとしました。

しかし「くっつけっこ」する前に、ヒロユキが立ちションをするのですが、いくら子供だって、思春期前だぞ。性器まで見せて女子の前でするか?子供の無邪気さを表現して、セックスが何かをよくわからない子がしてしまった、と言いたい演出でしょうが、昨今の五年生、いくら田舎でもそれほど純朴でしょうか?いじめや様々な少年犯罪など、都会に限定されたことではないはずです。

五年生と言えば、女の子は林間や臨海学校前に、生理について保健の先生から話を聞くはずです。その時に生理は妊娠と密接な関係がある、生理があるというのは妊娠できる体になったということで、むやみに男性に体など触らせないように、などなど、私の頃だって教えられました。なのでこの「全く何も知らずにやりました」という描き方には疑問があります。

娘の鼻の穴が膨らんだくらいで嘘のわかるお母さん(宮崎美子)が、我が子の妊娠がわからないということが、あるんでしょうか?生理が始まったばかりの頃は、毎月あったりなかったり安定しません。ホルモンが関係するので、イラついたりニキビが出たり、娘が申告しなくても、母親は毎月チェックしているもんだと思います。それとこの作品でもセリフで語られますが、慣れていないので、そそうして下着やシーツを汚してしまうこともしばしば。それをいくら農家の忙しい時期だからと言って、春菜のお母さんのような行き届いた人に、そういう設定は不自然です。せり出したお腹も、20歳前後の子なら、本当にわからない子もいるそうですが、乳房も膨らむ前の体型の五年生では、わからないはあり得ません。

もう苦笑するしかなかったのは、出産場面。産婦人科医の息子が陣頭指揮で、「ヒッ、ヒッ、フ〜」と呼吸法を教えたりしながら、子供たちだけで出産します。超安産で。ちょっとちょっと!息子よ、それはどこで覚えた?勝手に分娩室覗いたのか?産婦人科医の息子だからお産が誘導できるって、笑うに笑えません。


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10月29日(水)
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