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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「コレラの時代の愛」


いや〜、満足満足!あらすじを読んだ時、こういう語り口で描いて欲しいなぁと思っていたところへ、そのまんまの、それも上質のものを見せられたんですから、嬉しいっちゃ、ありゃしない。監督はマイク・ニューエル、原作はノーベル賞作家のガルシア=マルケス。しかし何と言っても作品の成功の最大の功労者は、主役のハビちゃん(ハビエル・バルデム)でしょ!

19世紀の南米コロンビア。貧しい郵便配達人のフロレンティーノ(ハビエル・バルデム)は、裕福な商人の娘フェルミーナ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)に一目惚れします。何度も何度もラブレターを出し、遂に彼女の心を射止めたのも束の間、娘は名家に嫁がせたい父親ダーサ(ジョン・レグイザモ)の手によって、引き裂かれます。一年後家に戻ったフェルミーナは、ツキものが落ちたようにフロレンティーノへの愛も冷めていました。そんなとき、コレラ撲滅に力を注ぐ青年医師ウルビーノ(ベンジャミン・ブラッド)から見染められ、結婚を承諾します。失意のフロレンティーノ。しかし彼はその時から51年9か月と4日、ウルビーノが死去するまで、フェルミーナを待ち続けるのです。その間、660人以上の女性と閨を共にしながら・・・。

ねっ、変な話でしょ?普通に主人公の男の純愛を生真面目に描けば、気持ち悪くてしかたなかったはずです。しかし監督ニューエルの母国であるイギリス風の、ちょっとシニカルに洗練されたユーモアと、哀歓に彩られた語り口は、私にはとても楽しめるものでした。加えてラテンの陽気で生き生きとした、そして土着のたくましさを感じさせる暮らしぶりや音楽は、物語に鮮やかな色どりを添えます。

恋愛とは、自分の作り出した「幻想」、或いは自己愛の変形ではないでしょうか?事実若き日の二人は、デートするわけでもなく手を握る訳でもなく、会話と言ったらたった一度のプロポーズだけで、あとは手紙のやり取りだけ。しかし燃え上がる若き二人の「恋に恋する様子」は、誰しも身に覚えのあることで、フェルミーナの父の取った娘への「頭を冷やせ」の行いは、大人の知恵でもあるわけです。

実態のなかった自分の作り出した「幻想」であるフロレンティーノに、再び出会った時のフェルミーナの言葉は、「幻想」から脱皮し「現実」を見出したのでしょう。彼女は大人になったのです。このときにフロレンティーノ役は、紅顔のそれなりに爽やかな少年であったウナクス・ウガルデから、ギトギトに濃くて悪党面のハビちゃんに変わります。フェルミーナの「あなたが私の思っていた人だと違うと、たった今わかったわ」と言うセリフに、ものすごく納得してしまう私。悪党面から不気味な純情さをまき散らすハビちゃんからは、キモいオーラが全開です。現実性に長ける女と、いつまでも夢から覚めない男の違いを一瞬に表現し、監督の技ありの演出に唸ってしまいました。

フロレンティーノは自分の恋愛について全て母に相談し、母は失恋のため傷心の息子を見かねて、果ては女をあてがうなど、超ド級のマザコンです。ここでもキモさパワーアップ。しかしその要因が、女たらしのフロレンティーノの父親から結婚以前に捨てられて、母一人子一人の環境だというのが明らかになると、マザコン息子と母の滑稽さの中に、納得と哀れを見出してしまい、痛く二人に同情します。

フェルミーナのため、男の操を守ろうと思っていたフロレンティーノは、偶発的なアフェアで、言わば「強チン」のような形で童貞を失います。失ってからの挙動不審な様子がコミカルで、この辺から終始クスクスと笑える描写が続出。しかしいやらしさはなく、この辺からフロレンティーノに段々情が移ってしまった私には、脂濃い顔とは正反対の、彼の精神的な純情さを愛しく感じ始めます。


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09月14日(日)
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