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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「潜水服は蝶の夢を見る」


実は今月の20日に、84歳の姑が入院しました。危険な状態からは脱しましたが、体のために薬の力を借りて、昏々と眠り続ける毎日です。毎日短時間の見舞いには通っていますが、家族は何も出来ず、不安なまま一週間が過ぎて行きましたが、主治医の話によると、長期入院も想定して欲しいとの事。ここは腰を落ち着けて、いつもの日常に見舞いを組み込む方向が良いと判断し、久々に劇場へ向かいました。とても楽しみにしていた作品ですが、今の私には辛いかとも、鑑賞前には考えていました。しかしこれがとんでもなくタイムリーな鑑賞となり、大泣きに泣いた後、清々しい感情が私を包みました。

42歳の「ELLE」誌編集長のジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)。彼が目覚めたそこは、病院のベッドの上でした。脳梗塞を起こし三週間昏睡だったのです。一命は取り留めたものの、体は動かず話しも出来ず。ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)と言われる症状になっていました。リハビリに力を入れる病院は、言語療法士のアンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)と理学療法士のマリー(オラツ・ロペス・ヘレメンディア)を、彼の元に寄こします。アンリエットの提案は、ジャンが唯一動く左の瞼を使い、口述のアルファベットを使い会話すると言う方法です。使いたい文字が来たら、瞬きを一度し、言葉を書きとめるのです。その方法を使って、ジャン・ドゥーは自伝を書こうと思い立ちます。

ファーストシーンは、ジャン・ドゥー(彼の愛称)がベッドの上で唯一動く目から、周りの状況を見ている構図です。そして彼の心の独白が入ります。わずかな視野、医師の語りかけに、皮肉交じりで答えるジャンの独白が、今の彼の状況を端的に表し、観客はすぐにジャンの心を掴めるようになっています。

本来ならこれでもかと涙を振り絞り、美談に仕立てあげるプロットなのに、とても淡々と日々は過ぎて行きます。もちろん彼が重度の障害を負っているというのは、各シーンで印象付けられるのですが、過剰な思い入れがなく、むしろ作り手は客観的ですらあります。しかしあざとさや、似非ヒューマニズムは欠片もないのに、もう泣けて泣けて。これは私だけではなく、劇場はすすり泣きがいっぱいだったので、観る者の心を柔らかく刺激したのでしょう。

撮影は名手ヤヌス・カミンスキー。全然知らなくて、最初のクレジットに名前が出たので、大いに期待しました。スクリーンが映す自然の描写はとても美しく、特に私が感嘆したのは、風にそよぐ様々なシーンです。髪がそよぎ、スカートがめくれ、陽光降り注ぐ窓のカーテンはひらひら、砂浜の砂はさわさわ。生の実感を感じさせます。

お国柄なのか、ジャン・ドゥーの日常は、少し辛辣なユーモアと、官能に満ちているのに驚かされます。何せ別れた子供たちの母セリーヌ(エマニエル・セニエ)を筆頭に、彼の周りは美女ばかり。ジャンとは至近で接するので、彼女たちの豊な胸元、魅惑的な唇、風でスカートがめくれ見える美しい太ももなどが、動けないジャンの煩悩を刺激する様子が、とても印象深いです。体は決して反応しなくても、男盛りの人が欲望に苛まれるのは、当たり前の事だから。

「彼は植物状態になったと聞いたわ」という電話の声に、<俺が植物だって?花か木になったというのか?>と憤慨する彼の独白が入ります。ジャン・ドゥーは動けないだけで、普通の喜怒哀楽の感情を持つ人間で、決して生ける屍ではありません。

それが証拠に、彼の周りの美女たちは、一患者という以上に、ジャン・ドゥーに親近感を持ち、魅了されていきます。口述筆記ならぬ「まばたき筆記」の代筆者クロード(アンヌ・コンシニ)しかり。大変な労力と忍耐力が必要なこの方法であっても、彼と会話したい、次の文章は何だろうか?聞き手の好奇心を駆り立てるような知性やユーモアが、ジャン・ドゥーには備わっていたのでしょう。障害を負う前から変わりなく。病を得る前からの人生の有り方は、その後の人生も左右するように感じました。


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02月29日(金)
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