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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ヴィーナス」

ピーター・オトゥールが本年度アカデミー賞、主演男優賞にノミネートされた作品。取ったのはフォレスト・ウィッテカーですが、この作品を観てしまったら、とんでもないミステイクに思えました。大変素晴らしい作品です。
70代のイギリスの俳優モーリス(ピーター・オトゥール)。数々の浮名も流した人気俳優でしたが、老いた今は仕事も少なく、来るのは死体の役ばかり。しかし長らく別居中で苦労をかけた妻(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)に生活費を渡すためには、引退することはできません。そんなある日、高血圧の俳優仲間イアン(レスリー・フィリップス)の元に、イアンの世話をするという名目で、姪の娘ジェシー(ジョディ・ウィッテカー)がやってきます。しかしこのジェシー、家事やイアンの身の回りの世話どころか、挨拶もろくすっぽ出来ないフーテン娘で、期待していたイアンは余計に体調が悪くなったとおかんむり。そんなジェシーを面白がるモーリスは、彼女をちょくちょく誘い出します。
加齢臭をまき散らしながら、哀愁のエロ爺を演じるオトゥールが絶品。孫のような年齢のジェシーを相手に、かつてのプレイボーイとしての誇りにかけて、紳士的に彼女をエスコートしますが、その実きちんと男としての下心がいっぱいなのです。前立腺の手術をして男性機能はダメなんですが、それでもジェシーの若々しい肌を愛でずにはいられません。ジェシーに鬱陶しがられつつ、隙あらば彼女にキスしたり、抱きしめたりするのですが、それがちっともいやらしくないのです。余裕のない若い男性では感じられない、成熟した、そしてちょっと哀しいエロスが漂います。そうかと思えば、まるで男子中学生が女風呂を覗くような真似もして、「男っていくつになっても・・・。」というコピーが、楽しく表現されます。
時の経過というのは、非情なものです。「アラビアのロレンス」での彼を観た時、私はまだ子供でしたが、なんて綺麗な宝石のような瞳をした人かと感嘆しました。その美しかったグリーンの瞳は、老境の今、くすんだグレーがかった瞳になっています。ジェシーは確かに若くて可愛いですが、ただそれだけの子。知性や教養もなく、垢ぬけない子です。モーリスが男性として現役であった頃は、歯牙にもかけなかったタイプでしょう。それが今は、この老いた紳士を魅了してやみません。若さというものは、それほど輝かしいものだと、ジェシーの常にむき出しの、伸びやかな四肢が感じさせてくれるのです。
予定調和的に、モーリスはジェシーと交際するようになって、回春していきます。しかしこの作品の秀逸なところは、それでこの老人の他の悩みがチャラになるのではないと、きちんと描いていることです。仕事は相変わらず少ないし、体はどんどん衰えていくし、お金だって心配です。おまけに恋しいジェシーは、若い頃の自分とは比べるべくもない、チンピラ風の若い男とねんごろに。若い人から刺激を受けたって、老人の孤独は癒されるわけではないです。モーリスが素敵に見えるのは、そのことをちゃんと認識しているからです。同じ老いた友人、妻との付き合いもとても大切にし、ジェシーにうつつを抜かしつつ、のめり込んではいないです。後ろ向きながら老いを受け入れる姿が、心に沁み入ります。
ストーリーが進むに連れ、どんどん美しくなっていくジェシー。若さだけが取り柄の彼女は、同世代の男の子には、遊ばれては捨てられていたのでしょう。要するに尊重されたことがないのです。美しくもない自分を「ヴィーナス」と呼び、初めてレディとして接してくれるモーリスに対し、段々心を開いて、素直になって行く様子が微笑ましいです。この子は不作法で躾の足らない子ですが、決して悪い子ではありません。モーリスと付き合うようになってから、挨拶が出来て、「ごめんなさい」「ありがとう」という言葉が素直に出るようになっていきます。この三つが言えるなら、大人はジェシーを受け入れるでしょう。モーリスはこれを祖父のような愛ではなく、男性としての愛で成長させたのだから、お見事です。あと10年若かったら、自分の手で「女」としても開花させられたのにと、残念至極だったかもね。
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11月10日(土)
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