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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「人が人を愛することのどうしようもなさ」

昨日千日前国際シネマで観てきました。この作品は石井隆監督久々の「土屋名美」ものということで、興味が湧いていました。が、主演が喜多嶋舞ということで、少々二の足を踏んでいました。どうも女優としてもタレントとしても中途半端で、美少女タレントのなれの果てという思いを抱いていたからです。大竹しのぶや余貴美子が演じた役を彼女では、少々荷が重いと思ったからです。しかしこの喜多嶋舞が予想を覆す大熱演で、裸はおろか、心や内臓までさらけだそうかというほどの勢いで、大変感心しました。430席と、古いけど老舗劇場は平日2時だというのに、彼女のエロ見たさの(多分)男性客で、驚くなかれ6割ほど埋まっていました。女性なんて20人もいたかなぁ?しかしこの作品は、卑猥なシーンが満載なのに、まぎれもない女性向け映画だと私は思います。
元アイドルで人気女優の土屋名美(喜多嶋)。夫で15歳年上の俳優洋介(永島敏行)は、順風満帆な妻とは反対にキャリアはジリ貧で、若い女優(美景)と浮気し、夫婦は破局寸前。そんな二人は、実生活を彷彿させるような内容の「レフトアローン」という作品で、共演しています。浮気相手の若い女優までがその作品に出演し、立ちゆかぬ夫婦の間柄にストレスを感じた名美は、しだいに神経を病んで行きます。そんな彼女が自分を解放しようとした行動は、街角に立って客を引く娼婦となることでした。
お話は葛城(竹中直人)という記者が、名美に「レフトアローン」についてインタビューするという形式で進んでいきます。
冒頭幸せだった夫婦の営みが出てくる以外は、セックスシーンはあらん限りの痴態が繰り広げられます。映画の半分は名美は裸でしょうか?どんなに男の精を貪り尽くしても満足出来ない名美。それは愛する人から与えられたものではなかったからです。
その狂態は最初大変卑猥で、その後気分が悪くなるほどグロテスクです。髪を振り乱し、唇から真っ赤なルージュがはみ出し、アイメイクが流れて、一筋黒いアイラインが頬に流れる名美の顔は、まるでピエロのよう。しかし愛する人に愛されない、その名美の心を受け止めると、グロテスクの奥の壮絶な哀しみに心が揺さぶられます。
名美の愛する人は夫です。それも結婚10年、今はやさぐれて不甲斐無い、浮気相手の女を夫婦のベッドに引きずり込み、その姿をビデオで撮ってやるせなさを発散させるような、げすな男です。しかしこんな夫の愛を乞いたいという、女として真っ当でシンプルな、そしてこみ上げるような切なさが直球で胸に沁み込むと、いくら股間を広げようが、狂態をさらそうが、私は名美が淫売には見えません。これが不倫相手と言うなら、私はこんなに名美に感情移入出来なかったと思います。
この夫婦が何故不仲になったかは、語られません。役者として格差が出てきたことが原因と匂わせますが、そんなことはどうでもいいのでしょう。要はこんな男でも、名美が愛して愛してやまないということが大切なのだと思います。こういう人を愛する女、男はいるでしょう。お金をむしられ、暴力を振るわれ、口でも罵倒され。そんな相手とは付き合うなと忠告されても、やっぱり好きだ。やがて人からは謗られ馬鹿だと言われても、愛する事がやめられない。そんな「どうしようもなさ」が、「愛する」と言う感情なんだと思います。私はそんな人たちを馬鹿だと思わない。私がそんな経験がないのは、そういう人を好きになったことがない、ただそれだけなんだと思います。愛と言う感情は、計算ずくなものでは決してないはずです。
「キサラギ」で、ユースケ扮するマネージャーが、「ミキを愛していたんだ」と吐露する場面で、ジーンとした方は多いでしょう。名美のマネージャー岡野(津田寛治)もまた、名美を「どうしようもなく」愛していました。それも見返りの一切ない、無償の愛で。
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09月11日(火)
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