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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ダーウィンの悪夢」(布施ラインシネマ・ワンコインセレクション)
ロードショーで見逃した作品でしたが、布施ラインシネマのワンコインフェスティバルで観ることが出来ました(会員は無料だぜい!)。結構周りの評判もよく期待していましたが、私の思っていたような内容ではなく、上滑りにしか持っていない私のアフリカへの知識を、上滑りに見せてくれただけ、と言う感じでイマイチした。こんな感想を書いたら、また辛辣って言われるかなぁ〜。

タンザニアのヴィクトリア湖。この巨大湖はかつて「ダーウィンの箱庭」と呼ばれ、様々な生物が生息していました。しかし約半世紀前、この湖に肉食のナイルバーチという魚が放たれてから、状況は一変。他の魚を食いつぶすナイルバーチのため、生態系は破壊され、湖はナイルバーチだらけになります。ナイルバーチが白身で食用に適していたため、EU諸国や日本への一大輸出産業が生まれます。湖畔付近の人々も、輸出産業に携われた人とそうでない人との間に、貧困・売春・暴力・ストリート・チルドレンなど、生活の格差が広がっていきます。果ては武器密輸の噂やエイズの蔓延も。

まず何が肩透かしだったかというと、私は生態系が破壊されるのがどんなに恐ろしいか、環境保護を訴えるのが一番の目的の作品だと、ずーと思っていたのですね。ナイルバーチのせいで、水質を良好に保つために活躍してくれた魚や藻などが全滅となり、近年のヴィクトリア湖は、水質が著しく低下して、濁って何も見えないそうです。しかしこの説明は本当にチョロっと。数字で説明してくるわけでもなく、ただただナイルバーチの繁殖のせいで、押し通します。その割には「誰かによって放たれた」そうなんですが、その誰かって、とても重要なことだと思うのですが、これも最後まで「誰か」。「誰か」が欧米諸国の人間で、現在の様相を予見していた上でなら、それはとっても問題だと思うんですが。

この作品の真意は、湖畔で生活する人々の悲惨な状況を訴えることにありました。衛生に気を配った工場で加工された切り身は、欧米諸国や日本へ。不衛生に放り出されたウジ虫の湧く粗や頭は、そのまま干して油で揚げたものがタンザニアの人々の食卓に上るのです。切り身は値段が高く、現地の人では口に出来ないのです。江戸時代にお百姓さんが白米を口に出来なかったのを連想する私。

他にも貧困からストリートチルドレンになった子供たちが、加工工場から拾い上げてきた発砲スチロール(かな?)の箱を燃やし、ドラッグのように吸う様子、炊きあげたほんの一握りの食物を奪いあい喧嘩する様子など、子供持ちには、観ていて辛い衝撃的な場面が続きます。

ただどうも、ドキュメンタリーとして、作りが散漫なのです。子供たちを紹介する仲介役の青年は、今は働いて自立していると言いますが、その脱出の糸口を語ってくれるわけでありません。いかに悲惨かという点に力点を置いて映しているだけで、だたそれだけ。監督フーベルト・ザウバーの思いはわかりません。それは観客に考えて欲しいという風には見えません。

この作品の描いていることは、全て本当だと思います。しかし視点が少し偏っているように感じるのです。虚実ない交ぜではなく、「『やらせ』ない交ぜ」に私は感じるとことが多々ありました。例えばこの画像のおじさん。↓



加工工場の夜警さんなんですが、夜に褐色の肌・白目の赤い目は不気味で、語り口も小々芝居がかり怪しさ満点。地獄の道先案内風で、新東宝の「地獄」での、沼田耀一を思わすと言えばお分かり頂けるでしょうか?このおじさんは、「この貧しさから逃れるため、若い者は戦争を望んでいる」と語ります。これだけ聞けばズシンとお腹にきますが、語るのはおじさんだけ。ドキュメントなら、他の人の声も拾わなきゃ。「フランドル」でも、何も無い田舎での生活に飽き飽きした若者が、戦争に刺激を求めますが、「フランドル」はフィクションで、テーマは暴力と性についての観念を描き少し哲学的なものです。対してこの作品はノンフィクションです。このおじさんは脚本付きの映画だったら、助演賞ものの印象深さなんですが、ちょっと素人には見えませんでした。


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07月18日(水)
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