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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「あるスキャンダルの覚え書き」
はぁはぁはぁ!昨日のレディースデーは満員で追い返され、やっと今日観てきました。昨日割引券をゲットしてきたものの、私の鑑賞料としては、マックスの1500円払ってきました。今年1500円払ったのは
「善き人のためのソナタ」だけです。しかし考えてみれば、私の天敵の「男に溺れる子持ち女」が出てくるのですが、脚本と演出そして演じる人で、ここまで理解出来るもんなんですねぇ。

老教師バーバラ(ジュディ・デンチ)は、その偏屈で厳格な性格ゆえ、同僚教師・生徒から疎まれる孤独な環境でした。そこへブロンドの美しい美術教師シーバ(ケイト・ブランシェット)が赴任してきます。シーバに憧れの感情を抱いたバーバラは、彼女に接近。首尾よく親しい間柄になりますが、シーバには15歳の教え子スティーブン(アンドリュー・シンプソン)と深い関係だという秘密がありました。最初二人の関係に怒るバーバラですが、このことで彼女に貸しを作り、シーバを支配しようとします。

年齢差も環境も全然違う二人ですが、私には両方人として未熟に感じました。バーバラは毎日日記を書きます。これが人の観察が多いのですが、とにかく悪意に満ちています。シーバの家族に対しての記述など聞くに耐えません(独白で観客はわかる)。なるほど、これでは嫌われるわなぁ。

レズビアンのようにも見受けられますが、これは違うと思います。「バスの運転手に触れられるだけで、下半身が疼く」との独白の運転手は男性だと思います。「誰もこの体に触れたことがない孤独を、シーバなんかにわかるまい」という独白が続き、彼女は60前後にして処女だとわかります。この年まで男性を知らずに来た人なので、男性が怖いのでしょう。少女期に異性が怖く、身近な憧れの女性に恋に似た感情を抱くことはありがちですが、性愛の面では、バーバラはまだ少女なのでしょう。この年齢で乙女チックな情感を見せられると、かなり醜悪で滑稽ですが、孤独から逃れたいため、シーバを我がものにしたい暴走・迷走ぶりには痛々しいものもあります。

対するシーバは、年の離れた夫リチャード(ビル・ナイ)とは、かつて教師と教え子と言う関係で、夫は離婚して彼女と結婚。ミドルティーンの娘とダウン症の10歳の息子がいます。息子の世話に明け暮れていた彼女が、息子の入学を機に何か自分もしたいと、仕事を始めたのはよく理解できます。シーバは一見孤独ではなかったはずで、諸々問題はあっても、彼女なりにクリアしてきたはずで、家庭に疲れてスティーブンに逃避したのではないと思います。

女が一生懸命家庭に尽くす時、自分自身はないがしろになりがちなものです。そして自分の時間が出来るようになった時、妻と母だけの存在になった自分に愕然とするのです。夫や子供に囲まれての生活は幸せで文句がなくても、失った時間は悔やむ気持ちは起こるものです。そこに折り合いをどうつけるか、主婦には重要な問題のはず。しかしシーバが折り合いをつけようとした教師という仕事は、自分の力不足を痛いほど感じさせ、彼女を追い詰めていくのです。

私が30前の頃読んだ故森瑤子のエッセイで、「35歳の時、私はセックスをやってやってやりまくりたかった」との記述があり、私もそう思うのだろうかと記憶に留まりました。35歳の時とは、自分の時間がもてるようになり始める頃で、セックスをやってやって、というのは、年齢から容色の衰えも目立つ自分の、女を確認したいがためだと、のちの私は理解したものです。シーバはたぶん30半ば。「どうして孤独を私に打ち明けてくれなかった」と夫は言いますが、年齢のいった夫とは精神的な愛で結ばれていても、セックスはもうなかったのかも知れません。

そんな「隙」の生まれたシーバの前に表れた、彼女にありたっけの愛を示す紅顔の美少年。自分にも覚えのある少年の敬愛に、嘘がないと思ったのでしょう。この辺に早くに家庭に入り、世間知らずのシーバの善良さと無知が感じられます。「もう一度したい?」と15歳の少年に言われ、「もう一度したい」とはにかみながら答えるシーバからは、淫乱・妖艶という言葉ではなく、結婚前の20歳の乙女に見えるのです。


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06月14日(木)
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