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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
イラストレイター、コラムニストなど、マルチに活躍するリリー・フランキーの原作がベストセラーになった作品の映画化。とても楽しみにしていた作品なので、初日に観て来ました。だって私も三人の息子のオカン、そして実母をガンで亡くしているからです。そんな背景があるせいか、後半はとにかく泣けて泣けて。内容からいくらでもあざとく出来るでしょうが、過剰な演出のない品の良い作品で、私はとても気に入りました。原作はとめさんからお借りしていますが、どうしても原作と比較してしまい、映画として楽しめないので、今は未読です。

1960年代後半。中川雅也(ボク)(青年時オダギリジョー)は、オトン(小林薫)に愛想を付かしたオカン(内田也哉子・樹木希林)に連れられ、小倉からオカンの実家のある筑豊へ帰ります。オカンの女で一つで育った雅也は、高校は大分、大学は東京へ。それから数年、何とか生活出来るようになった雅也は、今まで苦労をかけたオカンを東京へ呼び一緒に暮らし始めます。いつまでも平穏な毎日が続くと思っていた時、オカンのガンが転移しているのがわかります。

ラストは皆さんご存知なので、今回はネタバレです。原作者のフランキー1963年、脚本の松尾スズキ1962年、監督の松岡錠司1961年と、ちょうど1961年生まれの私とは同世代です。片田舎の筑豊と都会の大阪の違いはあれ、時代の空気は共有していたので、流行っていた歌謡曲、走っている自動車やファッションなど、行った事もない筑豊が懐かしく感じられます。それは筑豊を懐かしんでいるのではなく、私が時代を懐かしんでいるのでしょう。

前半の高校卒業までは樹木希林の実娘である内田也哉子が、オカンを演じています。どれだけ二人して肩寄せ合って頑張ったのか、描いているかと思いきや、意外なほど母子密着の描写は少ないです。どこにでもある仲の良い母と息子。暑苦しさや閉塞感は全然ありません。ただ父親がいないだけ。決して豊かではありませんが、さりとて貧しさを前面に出すでもなく、ユーモラスに日常が描かれます。それは祖母、叔母、近所の人などたくさんの人が二人の間を出たり入ったり、風通しの良い環境が、二人を精神的に孤立させなかったからでしょう。そんな中たった一度、オカンに浮いた話があった時、必死で自分を追う息子を優先したオカンが、とても印象に残りました。オカンに激しく共感してしまう私。

この作品を観た日、たまたま用事があって原作を読んでいる義妹に電話したのですが、彼女いわく「あのオカンは、息子を溺愛してたやんか。」という印象を受けたそう。しかし私は、この映画からは息子を溺愛するオカン、という印象は受けませんでした。

雅也が自堕落な生活を送り、大学を卒業できそうにないと連絡を受けた時も、「何であんた?何でやろねぇ?」と、困っているのに、なんとものほほんとした対応をするオカンに、私はびっくり。普通なら「どんな思いで私があんたを育ててきたと思ってんの!」の罵声の一つも浴びせるところです。そしてまた一年、お金を工面して息子を卒業させるオカンからは、出来の悪い息子を溺愛するのではなく、息子のためにという無償の愛を感じるのです。それには「時々オトン」の存在が大きいのだと思います。

養育費も多分出していないようなオトンで、雅也の「この人以上に自由な人をボクは知らない」の独白が示すよう、一般的な良き夫・父からかけ離れた人だったはずなのに、何故か二人からオトンの罵りは聞かれません。それどころか幼い時は夏休み毎、中学以降もオトンと二人の関係は細々続き、結局離婚もしないまま。とてもとても不思議な関係。しかしオトンが東京まで見舞いに来ると聞くと、自分の身だしなみに気を使う彼女を観て、ハッとしました。


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04月16日(月)
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