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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「善き人のためのソナタ」
二月の末から公開でしたが、上映の梅田シネリーブルは駅から遠く寒いのと、上映時間が中途半端なせいで、ずっと延び延びになっていました。公開後日が経っていますが、観る気は満々だったため、新聞や雑誌の紹介も、お友達のレビューもすっ飛ばして頑張った甲斐あって、私の予想していたストーリーとは違っていたのが嬉しい誤算でした。本年度アカデミー賞最優秀外国映画受賞作品。

1984年の東ドイツ。国家保安省(シュタージ)の局員ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、国家に忠誠を誓う有能な局員でした。ある日大臣の命で、反体制の疑いがもたれる劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)を、24時間体制で監視することになります。ドライマンの家に盗聴器や隠しカメラが据え付けられ、薄暗い屋根裏で毎日監視するヴィースラー。しかし国の秩序を守ることしか念頭になかった、孤独で冷酷なヴィースラが、ドライマンを監視することで思わぬ変化が訪れます。

上記の粗筋だけは知っていました。私はドライマンはガチガチの反政府運動家だとばかり想像していたのですが、これが全く違うのです。大臣が監視を命じたのは、ドライマンの恋人である女優のクリスタ(マルティナ・ゲデッグ)に横恋慕したから。冒頭大学生達に、取調べの講義をするヴィースラーが描写されます。暴力こそ映しませんが、非人道的で尊厳を無視したやり方で、クロの目星のつけ方など、ほとんど勘が頼りという根拠のなさで、これでは密告や捏造も簡単だと感じていたら、大臣自らこれとは。日本の時代劇の悪代官のようですが、雑誌や手紙の検閲検問など、ほんの少し前までどこの国でもあった話だと思うと、空恐ろしいです。

ドライマンは国家のあり方に疑問は持っていますが、表向きだけ自分を繕っているわけではなく、許される範囲の中、精一杯観客の人生に希望をもたらす作品を書いていたと思います。しかし反政府的だとシュタージに目をつけられている友人や、やはり国から仕事を禁じられた敬愛する演出家イェルスカとも、堂々と信念を持って付き合う姿は、ただの穏やかなインテリではなく、心にぶれのない芯の強い人だと感じさせます。

どういう風にヴィースラーがドライマンに感化されるかの描き方に、とても興味がありました。最初人々から暖かい賞賛を浴びるドライマンに嫉妬していたヴィースラーですが、いつしかドライマンの生きる世界に心が同化していき、彼にとってドライマンは、憧れ・夢・希望となっていくのです。

親しい友人との楽しい交流、尊敬する盟友、溢れる才能が人々に与える感動、文学や音楽を楽しむ。そして信頼で結ばれた恋人と愛し合うこと。全てが美しく彩られたドライマンの生活は、どれもこれも国家に忠誠を誓うかどうか白か黒かだけの、ヴィースラーの生きる世界にはなかったことです。ドライマンの生き方は、一言で言えば、豊かで充実した人生です。それを目の当たりにして、初めて国のためではなく、自分の、個人の、人生を活きるという事にヴィースラーは目覚めます。タイトルの「善き人のためのソナタ」とは「この曲を聴いた人は、悪人にはなれない」という意味だそうです。ある悲しみを抱いてこの曲を弾くドライマンに涙した私は、次のシーンでヴィースラーも涙を流しているのを観てびっくり。

私の生きる世界はドライマンほど豊かではありませんが、ヴィースラーほど殺伐ともしていません。それでも私はヴィースラーに感情移入して観ていたのでしょう。これはこのような国家体制の中では、いかにドライマンのように生きるのかが、難しいということなのだと感じました。


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03月24日(土)
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