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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ドリームガールズ」
昨日観て来ました。監督のビル・コンドンはこの作品の他にも、「ゴッド&モンスター」「愛についてのキンゼイ・レポート」を監督しています。これらはゲイの映画監督や、性へのあくなき探求に心血を注ぐ生物学者を主人公にした、いわばキワモノでした。しかしそのキワモノを誠心誠意生真面目に撮るため、ある種厳格で品の良さまで感じさせる不思議な監督で、私は両作品とも手応えがありました。そんな摩訶不思議なコンドンが、ハリウッドお得意のショービス内幕物娯楽作で、どんな手腕を見せてくれるか興味津々だったのですが、これが実に素晴らしい!同じ題材の「レイ」で感じた物足りなさもの理由も、この作品を観てわかりました。
1960年代初頭のデトロイト。エフィ(ジェニファー・ハドソン)、ディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、ローレル(アニカ・ロニ・ローズ)の三人は、歌手になることを夢見てオーディションを繰り返していた時、カーディーラーのカーティス(ジャイミー・フォックス)に出会います。ショービスの世界に足がかりを掴みたかったカーティスは、彼女達を人気歌手ジェームズ・アーリー(エディ・マーフィー)に引き合わせ、コーラスガールとして採用してもらいます。徐々に実力をつけた彼女達は、今では優秀なプロモーターとなったカーティスの手で、念願の単独デビューを果たします。しかしメインボーカルは、圧倒的な歌唱力を誇るエフィではなく、テレビ時代を見据えて、美しいディーナが取る事になったのです。
冒頭からオーディション場面で、ノリの良いブラックミュージックがいっぱい聞けるし観られるし、つかみは思い切りOK。話題沸騰のジェニファーの歌声もしょっぱなに聞けるし、板の上のコメディアン出身の、エディ・マーフィーの達者な歌もグー。
プロモーターとして、ジミー(ジェームズ)の育ての親的存在のマーティ(ダニー・グローバー)の、自分たちのR&Bを守るには、頑なに黒人社会に留まるべきという保守的な考えと、カーティスの伝統を踏襲しながらも、黒人社会を超えて新しいポップカルチャーを作ろうとする革新的な考えの対比が、当時の黒人たちの若い世代にうねり始めた、波を感じさせます。
黒人社会でヒットし始めたジミーの曲を、いとも簡単に盗作していく白人の世界。白人と同じ土壌に立つには大金が必要と、危ない橋を渡りながらお金を転がしていくカーティス。うちの父が口癖に「日本人と同じ土俵に立つには、日本人が100万なら、韓国人は300万要る」と言ってたなぁ。私の中でカーティスが、在日一世のやり手と重なります。
自分がメインボーカルを取れないことで、ディーナに嫉妬しグループに不協和音をもとらすエフィ。その類い稀な歌唱力は、彼女の生きる希だったのでしょう。経済的にも容姿にも恵まれず、貧しいデトロイトの町から黒人のそれも女の自分が這い上がる道は歌しかない、本当の自分を知るのが怖いエフィの心が、自分を磨こうとしない、歌の上手さで全てを圧倒するしかない彼女を作ったように思います。対するディーナは、自分はメインボーカルの器ではないと最初固辞しますが、その後の成功はただのシンデレラガールではない、ディーナの頑張りがあったればこそです。それをこれでもかとゴージャスなステージで表現し、美しいポートレートの大量投下で、観客に体感させる演出です。
この作品は元は80年代のブロードウェイのミュージカル作品だそうで、楽曲も当時のモータウンサウンドを彷彿させるオリジナルで、ディスコ調あり、メロウな曲調ありでどの曲もとても素敵。惜しむらくは日本では知られていない舞台なので、耳馴染みがなく、観終わった後あの曲この曲と耳が分散してしまい、リフレインする曲が少なかったことです。私は「ワン・ナイト・オンリー」が一番好きでした。それがお馴染みの曲がいっぱいでゴキゲンだった「レイ」とは違うところです。しかし実在のレイ・チャールズを主役に据えてしまったため、描けなかった自由さが、この作品にはあるのです。
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02月21日(水)
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