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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「トンマッコルへようこそ」
昨日観て来ました。公開から少し間が開いたので、秀作だ、いやファンタジーが過ぎる、と色々聞こえてきたので、公開前の期待を捨てて、無の状態で観ようと決心。これが良かったのかどうか、私にはとてもしっくりくる作品でした。

朝鮮戦争が続く1950年、アメリカの飛行機が一機、ある村に墜落します。そこは「トンマッコル」と呼ばれる、人々が自給自足で暮らし、のどかで争いごとのなどないユートピアでした。飛行機に乗っていたスミス(スティーブ・テシュラー)は、村人から手厚い看護を受けますが、言葉もわからず困惑しています。そこへ道に迷った北朝鮮の人民軍兵士スファ(チョン・ジェヨン)、ヨンヒ、テッキの三人と、やはり道に迷った韓国軍のヒョンチョル(シン・ハギュン)、サンサンの二人が、村人の招きで鉢合わせします。一発即発の二方。しかし村の愛らしい娘ヨイル(カン・ヘジョン)のしたことがきっかけで、彼らは村人達の畑仕事を手伝うことになってしまいます。このことがきっかけで、徐々に心を許しあう、韓国・北朝鮮・アメリカの兵士。彼らはトンマッコルに愛着を感じるようになっていましたが・・・。

トンマッコルとは「子供のように純粋」という意味の架空の村です。村人たちは、韓服であるチマ・チョゴリ、バジ・チョゴリを来て、電気も水道もなく暮らしています。どこかで観た村だと思っていたら「刑事ジョンブック」で観た、アーミッシュの村に、どことなく雰囲気が似ていました。あれをユーモラスにした感じです。

朝鮮戦争が背景の、この村での出来事を描いた作品ということしか知らなかった私、まず軍隊が傷だらけの兵士を率いて山越えする場面で、「○○同士」と語りかけるので、あぁチョン・ジェヨンたちは北朝鮮の兵士なのかとわかります。その他スファの苗字は「リ」ですが、これは漢字では「李」。韓国では「イ」と発音し、北朝鮮では「リ」と発音します。字幕でもそうなっていました。韓国語はわからない私ですが、「韓国映画の戸田奈津子」こと根本理江の字幕は的確で解りやすく、かつ正確なのだろうと、この辺りの表現でもわかります。

多くの方が指摘している戦時下の描き方がファンタジー過ぎるというのは、私は気になりませんでした。確かに戦場で歴戦を重ねた兵士たちが、征圧を考えず、すっかり村に馴染んでしまうのは、疑問の方もおられましょうが、最初の方で各々のリーダー格のスファには非情に徹しきれない優しさを描き、ヒョンチョルには自殺を試みる姿を挿入し、戦場では耐え切れない何かを抱えた人なのだとわかります。他の兵士たちも、「腹いっぱい食わすこと」=人間の基本、が村をまとめるコツと語る村長が率いるこの村で、本来の優しさが目を覚ましたと解釈しました。

「ククーシュカ・ラップランドの妖精」では、二ヶ月ぶりに女性を見た若い兵士が、「今は婆さんでもお姫様に見える」という切実且つユーモラスなセリフを洩らします。可愛く若いお嬢さんも多かったトンマッコルで、武器を持つ兵士たちが、淡い想いだけを抱いている描写はちと甘いかも知れませんが、男は狼ばっかりじゃないぞ〜、紳士もいっぱいいるんだぞ〜、ということで、私には好ましかったです。

雪のようなポップコーン、花が舞うような蝶、争いを洗い流すような雨。衣食住を自分たちで賄い、日々のつましい暮らしに感謝しながらの生活。だから時折の飲めや歌への宴が楽しいのですね。スミスの語る「これこそ人生だ!」という言葉は、戦場で血と汗と埃にまみれていた彼らが語るからこそ、重みがありました。

敵を殺しただけではなく、自国民や同僚も容赦なく見捨てざる追えなかった彼ら。「何か一つだけでも罪滅ぼししたい」と語るスファの言葉、逃げたいサンサンに「今逃げたら、一生罪の意識から逃げられないぞ」と語るヒョンチョルの言葉が暖かく胸に響きます。南北の壁を越え、トンマッコルの村人を守るため、一丸となった彼らの激しい戦いに感動し、ラストの彼らの輝く笑顔と打ち上げ花火のような美しさの爆弾の光りは、彼らの心栄えを表しているようで、堪らず号泣していました。


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11月13日(月)
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