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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「佐賀のがばいばあちゃん」
調子がイマイチと言いながら、先月も7本観ている私。そんな新作公開ラッシュの間で見逃すかと思っていましたが、昨日やっとこさ観て来ました。この手の作品は、出来不出来に関わらず私は気に入ってしまいがち。なのでちょっと二の足を踏んでいましたが、やっぱり観て良かったです。泣いて笑って大忙しの2時間で、とても清々しい作品です。
戦後間もない広島に住む明広少年(鈴木祐真、池田晃信、池田壮麿)は、原爆症で父親を早くに亡くし、若い母(工藤夕貴)が兄と明広を、居酒屋に勤めながら懸命に育てていました。しかしそれでも生活は大変で、明広は母の実家である佐賀の祖母(吉行和子)に預けられます。祖母は貧乏生活の中、女手一つで子供7人を育てたのが自慢の、がばい(すごい)ばあちゃんで、祖母との生活の中、貧しくとも心豊かな、明広の小2から中学卒業までが描かれます。
漫才師の島田洋七の原作。島田氏が佐賀に住む妻の母を介護するため、拠点を佐賀に移した介護体験の新聞の連載を読んでいた私は、立派な人だと当時感心したものですが、その時チラッと、佐賀には祖母宅に預けられて、中学まで住んでいた話も出てきていましたが、こんな苦労があったとは。
しょっぱな汽車での母子の別れのシーンでまず号泣。子供と泣く泣く別れる親、母が恋しい子供の涙に、私は異常に弱いのです。最近は夫が11時からケーブルで「子連れ狼」の再放送を観るので、大五郎の可愛げのない表情の奥の母恋しに、毎日泣かされている土壌があるので、小学生の男の子の、寝ては母、覚めては母を恋しがる姿は、私にはもう爆弾。子供というのはこれくらいの時、お母さんが世界中で一番好きなものです。それをわかっていながら、尚自分の母親に預けなければならない辛さを、工藤夕貴は痛切に演じ切って、そこでも私は滂沱の涙。彼女は何を演じても本当に実力を感じます。
対するばあちゃんは、傷つきながら長旅をしていた孫に頬ずりするわけでもなく、抱きしめるわけでもなく、早速明日の朝の釜戸でのご飯の炊き方を教えるだけ。朝4時には仕事に出るばあちゃんにご飯は作ってもらえず、自力で頑張らねば、明広はご飯にありつけません。この描写はとても良かった。今の時代は豊かで子供が少なく、子供は褒めて育てよ、良き言葉の雨アラレを降らせよ、毎日抱きしめようなどなど、こちとらクソ坊主を三人育ててんだよ、仕事も飯焚きもあるんだよ、忙しくって三人毎度に出来るかい!と、「愛情神話」に辟易することもあった私は、救われた気分です。ばあちゃんは7人とも、こうして育たんですよね。明日のお米の心配をしながら、たくましく子供を育てた人ならではの、愛情表現でした。
しかしばあちゃんは貧乏をものともせず、楽しく生きる知恵をいっぱい持っていました。川に流れてくる売り物にならない野菜を拾うのは「川が汚れるのを防ぐため」。道端で鉄くずを拾ってきて売るのも、リサイクルですよね。(そういえば末っ子が小1の時、「お母さん、○○の近所に大きなリサイクルの工場があるねん。」というので、そんな場所にそんなものあったかなぁと、二人で行ってみると、何とそこはスクラップ屋さん。なるほどリサイクル工場)。お腹が空いたと言えば、「気のせい気のせい。空いたと思うから空くんじゃ」。うちは貧乏だと嘆く明広に「うちはな、先祖代々貧乏じゃ。だから貧乏に自信を持て」などなど、惨めさを吹っ飛ばす底抜けの明るさとユーモアがあります。
中でもばあちゃん語録が素晴らしい。「辛い話は夜するな。明るい昼にすれば辛さも半分。」「ケチはいけないが節約は良い」「今のうちに貧乏しておけ。そのうち金持ちになったら、旅行においしいものを食べに、大忙しになるから。」「人に気づかれないのが、本当の優しさ」など、絶対原作を買おうと思ってしまったほどです。特に「今のうちに貧乏しておけ」というのは、希望です。当時の60代というのは今とは違い、本当にいつお迎えが来てもいいくらいの老婆だったはず。その老いた人が、孫に未来の希望を与える話をしてやれるなんてと、そのポジティブさには、本当に魅了されました。
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07月07日(金)
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