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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「海を飛ぶ夢」
今日観てきました。場所は大嫌いなナビオTOHO。1日の映画の日は満員で追い返され、今日はその雪辱戦です。先週の金曜日で打ち切られると思っていたから、縁がなかったとあきらめようと思っていましたので、喜びもひとしおの9時半からのモーニング鑑賞です。本当に観て良かった!もっと重々しく辛いだけの作品かと思いきや、清々しさと暖かさでも心がいっぱいになる作品です。尊厳死がテーマですが、本当に人を愛するとはどういうことかも、テーマになっていると感じました。監督は「アザース」のアレハンドロ・アメナーバル。今回ネタバレです。

世界中を旅行し、船員として生計を立てていたラモン(ハビエル・バルデム)が、水泳で事故に遭い四肢麻痺となったのは25歳の時。以来28年間、家族の手厚い介護の元、自宅で暮らしています。そんな彼が生きるのは義務ではなく権利であると、尊厳死を求める裁判を起こします。そんな彼に弁護をかってでたのは、忍び寄る認知症の進行に怯える既婚の女性弁護士フリアでした。そして彼の存在を知り、シングルマザーのロサもラモンを度々訪れるようになります。

フリアがラモンの家族に彼の尊厳死について聞いて回ると、絶対認めないという兄ホセ、自分の前では言ったことがないので信じないという父、そして「私がどう思うかではなく、彼がそうしたいのよ。」と答える義姉マヌエラ。一見冷たいようですが、マヌエラが一番彼の気持ちを理解し尊重しているのだと感じました。甥ハビも含め、他はみな自分なりの愛し方で精一杯ラモンを愛するのですが、それは自分がしたい愛し方であって、ラモンがどう愛されたがっているのかではありません。

「これはラモン・サンペドロの考えであって、全ての四肢麻痺の人の考え方ではない。」と繰り返し彼が言うのに、同じ四肢麻痺神父が、あなたは間違っている、生を全うせよとテレビに出たり彼の家にまで押しかけます。しかしこの神父さん、テレビのインタビューで、サンペドロ家の人々に愛情がないから、ラモンが目立ちたいためこんなことをするのだと見当違いに決め付けます。これは職業柄ちょっと考えられませんので、尊厳死=自殺はキリスト教では葬式も禁止される大罪で(『コンスタンティン』で教えてもらう)、ここにはキリスト教に対しての懐疑的なアメナーバルの意思が入ったのかと思いました。心からラモンを愛するマヌエラから「あなたはやかましい」と一喝されます。

聡明で穏やかでユーモアのセンスも良いラモンは、多くの女性から愛されます。一番愛したのはフリア、心を許し母のように甘えたのはマヌエラ、堅い友情を結んだ「尊厳死を支える会」のジェネ。しかし母のように慕うマヌエラもやはり義姉、本来なら兄や甥を一番に思わなければならないのに、実際はラモンが独り占めしている部分あるでしょう。裁判の会議に参加する息子ハビに父ホセは、「何故お前も入る。叔父さんが死んでもお前はいいのか?」と食ってかかりますが、しかし妻マヌエラには何も言いません。マヌエラが弟の死を望んでいるとはホセも思ってはいないでしょうが、そこには長年弟を介護したきてくれた妻に対しての遠慮があったと思います。家庭の微妙な空気は、介護される人や病人は非常に敏感に気づきます。マヌエラの存在が実の母なら、結婚年数の長い妻なら、ラモンの心はまた違ったかも知れません。

彼が尊厳死のパートナーとして、最後の女性に選んだロサは、一見図々しく彼の世界に入り込もうとするように見え、長年彼の世話をしてきたマヌエラが、まるで姑のように接するのが、ラモンへの愛に感じました。ラモンのその時の気持ちを考えず彼に会いたがるロサを、マヌエラは寛大だとあきれますが、人に支えられるばかりのラモンが、普通に自分の恋する男性として接するロサの女心に、彼もまた男としての自信を取り戻す部分があったのではないでしょうか?


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05月12日(木)
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