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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ネバーランド」
うーん、うーん・・・、うーん!!良い作品です。間違いありません。私も何度も涙ぐみましたし、万人にお薦め出来ます。ですが、巷で噂される大傑作とは私は思えませんでした。期待しすぎたかなぁ。今日はネタバレ含みますので、御注意下さい。

1900年初頭のロンドン、劇作家のジェームズ・バリ(ジョニー・デップ)は、新作の出来を酷評され憂鬱です。そんな時散歩の出た公園で、無邪気に騎士ごっこに興じる4人兄弟とその母シルヴィア(ケイト・ウィンスレット)と知り合います。彼女は未亡人で、現在は社交界では名が知れた実母デュ・モーリエ夫人(ジュリー・クリスティ)の庇護の下、暮しています。兄弟たちと親交を深めていく夫に、妻メアリー(ラダ・ミッチェル)は疎外感を感じますが、バリはそれには気づきません。やがてバリとシルヴィアたち親子は、世間からよからぬ噂を立てられ、ますますメアリーの孤独は深まります。そんな時幼い時の自分を、空想することを拒絶する三男ピーターに重ねるバリは、新作のタイトルに君の名前を使っても良いかと尋ねます。喜びに顔をほころばすピーター。バリが新作の準備に追われる中、シルヴィアたち親子の身の上には、重大な問題が起っていました。

ストーリーの流れに問題はなく、観客に向けてのメッセージも心温まるものです。「信じれば嘘のことも真実になる。」は、私の大好きなジョージ・ロイ・ヒルの「リトル・ロマンス」の中でのローレンス・オリビエの言葉です。それに通じる心で考え心で目の前の物を観ること、そして強く願う心が人生での糧になる、と言う描き方には肯く事が出来、素直に共感出来ました。

子供達とバリが遊ぶシーンは、想像のファンタジーシーンがふんだんに使われ、とても楽しいです。子供が遊んでいるのを見て、何て楽しそうで豊かな想像力だろうと、感じた大人はおおいはずです。ですが自分だってそうだったはず。それをとっくの昔に捨て去っているだけです。だから、最初は好奇心から(に見えた)彼らと遊んでいたバリが、いつしか良い脚本が書けない憂鬱から脱出し、触発される過程は、観ていてこちらもときめき、バリは「自分が遊んでもらっている」と語ります。

新作の舞台「ピーターパン」に、25人の孤児を招待し、ハイソな大人たちの間に座らせる趣向も良いです。空想する楽しさを失った大人たちには、子供達の無邪気に喜ぶ姿は、大いに子供だった頃を思い出させるはずと言うバリの読みは大当たり。これも兄弟たちとの交流から学んだことです。

4兄弟は、大人の入り口に立ち母を支えようとする長男、感受性が強く育てるのに苦労はするけど、誰にもない個性を持つ三男ピーター、ひたすら愛らしい四男と、それぞれお行儀の良い描き方で好感が持てます。次男に一エピソードが欲しかったですが。と、物語の本筋は文句がありません。私が傑作と思わなかったのは、以下に書く言わば枝葉の部分です。

クリケットの試合に招待された時、バリとシルヴィア親子の関係が噂になっているのは、二人は知らなかったとします。しかしその後、狭い世間のこと、バリだけではなく、シルヴィアの耳にも入ったはず。なのに「奥様は御承知なの?」と一応聞きますが、バリの別荘に招かれ夏中過ごすのは、かつては夫のある身であった人としては軽率です。そして重篤な自分の病気に対しての考え方も疑問があります。入院しても夫は治らなかった苦い思いがあるので、このまま命が尽きるまで子供達といたいと言うのは、描写からわかります。ただ母親まで死なれたら子供たちは?と思います。どんなに低い可能性でも、普通は根治に気持ちは向くのではと思いました。バリに「私にふりをしろと教えたのはあなた。あなたが本当の家族だと信じたい。」と言うセリフは、女心を切々と訴えて心に残りますが、ならば何故死と隣り合わせの病気を、治ると信じなかったのでしょう?聡明で豊かな母性愛を感じさせるシルヴィアを、ケイトが好演していただけに残念に思いました。


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01月19日(水)
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