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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「砂と霧の家」
「本当に求めていたものは、家ではなく家庭だった。」のこの作品のコピーを目にした時、必ず観ようと思いました。私にはこのコピーに、強く心当たりがあるからです。

日本の高度成長期に生まれた私には、時流に乗って事業を拡張していき、どんどん家に居つかなくなる父がいました。そして家内工業のような時は、鶏より早く起きて、夜は次の日付にならないと眠ることのなかった母は、父の会社が大きくなるにつれ、職人さんたちの世話を賄いのお手伝いさんに頼み、段々と奥様然としていきす。両親の不仲に気づき始めたのは、幼稚園に行く前だったでしょうか?物心ついた時から自分の部屋にテレビがあり、何でも好きな物を買い与えてもらえる環境だった私は、親から「何が欲しい?」と尋ねられて、いつも「何もない」と答えていました。家族皆が笑いながら食卓を囲む、そういう暖かい家庭が欲しいとは、望んでも仕方ない事だとわかっていたからです。

嵐のような壮絶な夫婦喧嘩の後の、氷つくような冷たさを行ったり来たりしていた両親は、私の結婚を期に正式に離婚しました。財産分与として母に渡されたのは、私が育った家です。何度も増改築を重ねた、母と妹の二人暮しには不相応な大きな家。時はバブルの頃で、売れば大金が母に転がり込んだはずです。何度も売って小さな家に移り、小金を持って暮せば良いと薦めましたが、母は一向に耳を貸しません。母の事を虚栄心の強い人だと思っていた私は、見栄っ張りもほどほどにして欲しいと思いました。しかし母が亡くなって1年経ち2年経ち、あの家は母の心の拠りどころではなかったかと、私は思い始めます。この家で町工場のおかみさんから社長夫人と言われるようになり、地域やPTA活動に華やかな自分を見つけた母。何より私と妹という、母にとってかけがえのない者を育てた家です。「砂と霧の家」は、一つの家を私の母のように心の拠りどころにした女性と、人生の最後の逆転をこの家に賭けた男性との、家を巡る心のぶつけ合いを描いたドラマです。

離婚して8ヶ月の女性・キャシー(ジェニファー・コネリー)は、たった500ドルの税金の滞納で、思い出のつまった父親の残してくれた家を競売にかけられます。その家を買ったのは、イランから亡命してきた元政府高官・ベラーニ(ベン・キングスレー)。彼は市価の1/4で買った家を転売し、今の肉体労働でしのぐ底辺の生活から脱けだそうとしていました。しかしこれは、税金免除の申請をしていたキャシーの届出を知らなかった郡のミスでした。郡が払う購入価格を受け取り、ベラーニ一家にすぐにでも出て行って欲しいキャシー。市価のお金をもらわなければ、絶対出て行かないというベラーニ。一歩も譲らない二人の確執が、やがて家族や大切な人をも巻き込む、取り返しの付かない悲劇に向かって行きます。

キャシーは弱い女性です。しかし私は彼女の弱さを責める気にはなりません。夫に出て行かれた荒れ果てた家からは、彼女が心の傷から立ち直れないと感じ、アルコール依存症でもある彼女は、外の世界で働くのが怖かったのだと思います。それは甘えだと思う方もおられるでしょうが、実母との不仲も感じられるキャシーには、支えてくれる人はいません。売れば17万ドル以上の家を、たった500ドルが払えないキャシーが売らないのは、自分の幸せだった時間のいっぱい詰まったこの家を持ち堪えることで、立ち直りたかったからではないでしょうか?

ベラーニは、有金をはたいて買ったこの家を転売することで、昔のような上流の暮らしをする糸口を見つけたいと願っています。彼のゴネは卑屈な性質のものです。しかし最初に人知れず肉体労働からの帰り、ホテルのトイレで背広に着替え、何食わぬ顔で妻子の元に戻り、高級ホテルでの生活を続けさせるシーンを見せられたは私は、ベラーニに「男の沽券」を感じます。昨今は男の沽券など、愚の骨頂のように扱われがちですが、私はそうは思いません。彼一人ならこんなゴネなど通さなかったはずです。もう一度妻子から名実ともに尊敬され、安定した良い暮らしをさせてやりたい。主婦としての愛情に溢れた妻、真っ直ぐな心の正しさを感じさせる息子の面差しに、ベラーニは良き父・良き夫であると感じます。やはり私は、ベラーニの卑屈さも責める気にはなりません。


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11月15日(月)
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