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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「清作の妻」(日本映画専門チャンネル)
この作品の監督・増村保造の作品は何作か観ていて、いずれも大変面白く観たのですが、一番観たいと熱望していたのが、この「清作の妻」。期待にたがわぬ作品で、大変感動しました。

時代は明治、主人公お兼(若尾文子)は生家の貧しさのため、年端も行かぬ10代後半から、妻に先立たれた60過ぎの老人の妾になっています。その老人が急死し、老人の遺族から大金の手切れ金を手にしたお兼ですが、長患いしていた父も亡くなり、残った母の希望で、故郷の農村に帰ることにしました。
久しぶりに故郷に帰った母子を、お兼が妾あがりだと知る村人は蔑み村八分にします。意固地になったお兼も、畑を耕すでもなく村に溶け込もうとしません。そんな村に、勤勉で誠実、軍隊でも模範兵で通した村一番の青年・清作(田村高広)が除隊してきます。

お兼の母の急死の際、火事と葬儀は村八分から除かれると言うのに、誰も手伝おうとせず、彼女をわけ隔てなく受け入れようとする清作は、野辺送りまで親身に手伝います。これがきっかけとなり、二人は接近、好きあうようになり、母や妹、村人中の非難をよそに、二人はお兼の家で生活を始めます。

当時の感覚では、妾、それも老人の慰み者になっていたお兼には、もう2度と堅気の女としての幸せは望めなかったのでしょう。そういう立場にいる者を見る、好奇と侮蔑の入り混じった村中からの目を向けられるお兼が、捨て鉢な感情にかられるのが、手に取るように伝わります。
そんなところへ手を差し伸べた清作。初めて自分が好意を寄せた相手に、思いのたけをぶつけるお兼は、いじらしさを越えて情念の塊です。好きな男に守られ幸せにしてもらう、そんな女としての当然の願いもあきらめていたのでしょう、観ていて胸がいっぱいになります。

仲睦まじいと言うより、愛欲に溺れているような日々を送りながら、徐々に夫婦らしくなってきた二人に、清作への召集令状が届きます。時は日露戦争の頃です。清作が出征した後、毛嫌いされる清作の母や妹のご機嫌を伺い、あからさまにからかい侮辱する村人に健気に応対し、必死に清作のいない日々を耐えるお兼。そんな中、戦争で負傷した清作が治療を済ませ、一時村に帰還する事になりました。清作を囲み、村中の人が集まり宴会が行われる中、「もっと大けがなら、清作も除隊出来たものを。」という誰かの言葉を耳にしたお兼は、あろうことか、清作の両目を五寸釘で突き刺します。

逃げ出すお兼を、たくさんの男の村人がこれでもかこれでもかと、殴り続けます。いくら何でもか弱い女を大の男が血みどろになるまで殴るとは、凄惨すぎる場面です。同じ増村作品で「赤い天使」を観た時、こんなすごい反戦映画はないと、私は衝撃を受けましたが、この作品では反戦はあまり感じません。感じたのは群衆心理の恐ろしさ、いじめ、差別などです。自分より辛い蔑む者を作り、自分はあの人たちより上の人間。そう思うことで卑しいプライドを満たす人々。このシーンは、鬱積した気持ちをお兼のしたことを言い訳に、爆発させたように思います。

この作品に描かれる貧困はなくなったように思う現代ですが、この構図は子供から大人まで社会に地域に学校に続いています。恐ろしいのは物が満たされていても、心の飢えが続くことです。この作品は1965年の高度成長期に作られています。明治を引用しながら、なくならない人間の深い業のようなものを感じました。

では清作は何故お兼を受け入れたのでしょう?彼は人々から「村一番の青年」「村の英雄」「模範生」と賞賛され、人より一段も二段も上の人間であるという自覚があったはずです。そういう人間は、お兼のような可哀想な女に優しくしなければならない、そういう思いあがりが彼にはあったのではないでしょうか?女性に初心だった清作が、情熱をぶつけるお兼の肉体に溺れているという、周りの見方はあたっていたように思うのです。


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08月03日(火)
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