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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「遠い山なみの光」
だけど、渡英しても母子の溝は埋まらない。人種の違う義父との関係、言葉の壁、義父と血の繋がったニキの存在。何より悦子が自分の居場所作りに必死で、景子の事は後回しだったと思います。そしてまた虐待が始まったのかも知れません。それで景子は、「ピアノが上手で、何でも出来るお姉ちゃん」を演じ続けて、彼女もまた、自分なりに居場所を作ったんでしょう。そしてその事に疲弊してしまい、心身のバランスを崩した。「ママはお姉ちゃんと私を遠ざけた」と語るニキの台詞は、虐待を知られたくない悦子の気持ちが、そうさせたのでしょう。

存在しない万里子に優しい悦子の姿は、景子を虐待した自分への理想と後悔だったと思います。娘を自殺に追い込んだのは、自分。存在が無くなってホッとしたはずが、今の悦子の心を占めているのは、亡くなった景子の事でしょう。ニキは敏感にその事を嗅ぎ取っています。

全てが明るみに出て、「お姉ちゃんの死は、ママのせいじゃないわ」と慰めるニキ。戦争のせいと、作り手は言いたいのだと思います。でもそうだったとして、私は賛同出来ないな。私の考察が当たっているなら、同情も理解も出来ても、悦子は毒です。母親は子供、特に娘には、毒にも滋養にもなるんだよ。

以上私の考察ですが、他にも様々に考察して下さいと、色々ぼかして描いているんでしょう。その水彩画のような描き方が、原色の悦子の苦しみを、柔らかに受け止めているような気がします。

09月16日(火)
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