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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「教皇選挙」
ベリーニたちリベラル派は、時代と共にアップデートしてきた教会を、後退させてはいけない。今まで共産党員であったり、小児愛の問題を無視してきた教皇もいた、傷のない人間はいない、だから自分たちは問題ありの人でも推すと言います。ローレンスもリベラル派。このシーンの清濁併せ呑む思考に、少々感銘を受けた私ですが、後々の伏線も担っていたのだと、今思います。

そう、人間や社会だけではなく、宗教だって進歩や成長していかねばならない。テデスコが過去の超保守的な協議に拘るのは、それは教皇という権力を手にしたいためではないかと、感じます。「宗教戦争だ!」と、声高に煽る彼に、戦火を潜り抜けてきたベニテスは、「あなたは戦争の何を知っているのか?」と一喝します。そして、コンクラーベを、つまらぬ人間の集まりだと吐き捨てる。

聖職者らしからぬ枢機卿たちの狼藉の数々を見せられた後、誰が枢機卿に選ばれたのか?初めて聖職者の良心を観た想いでした。しかし、ここにも問題が立ちはだかる。新教皇は、「神が私を作ったのだから、神の御心のままに生きる」と言い切ります。何と言う清々しさ。前教皇からの、更なる進歩だと感じました。

亀を抱きながら、微笑むラストのローレンスは、新教皇の難問を受け入れたのでしょう。思えば亀も伏線だったのかも。見事な管理者ぶりだったローレンス。例えば新教皇や他の枢機卿が管理者となったとして、これほど見事な仕切りが出来たかと言えば、絶対にNOです。亡き教皇の目に狂いはなかったのですね。人には適材適所、自分の器に合った場所でこそ、真価を発揮出来るのでしょう。

華やかな聖衣の見事さ、重厚かつ麗しい絵画、厳かな教会内の様子など、美術面も大いに見どころがありました。そう言えば、シスターたちはずっと質素な服装ばかりで、ここもキリスト教の悪しき教義である男尊女卑が表されているのでしょう。

宗教は、今を生きるものでなければならない。ベニテスの言葉だったでしょうか?私もそう思う。来世の幸せではなく、今生で幸せを感じなければ、意味がないと思います。ミステリーとしての面白さと、重厚な人間ドラマが共存し、生々しい人間臭さを放つ枢機卿たちから、神の存在を身近に感じた奇跡のような作品です。私の生涯の一本になりそうな予感がします。

03月26日(水)
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