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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ふたりで終わらせる」
愛情は確かにあったのでしょう。でも「情」が強かったのでは?夫がある日を境に大人しくなるのですよ。それは妻が自分の母親になった時。夫として君臨するより、夫としてではなく、息子として妻に甘える方が心地よくなる。そして上下関係は逆転する。妻無くしては生活出来ない男の出来上がり。そこには男女の愛ではなく、家族の情は確かにあるでしょう。
私の姑は、これを「女は泣いて泣いて、泣き果てて、初めて幸せになれる」と言いました。でもそれは、妻としての幸せかしら?家庭の幸せと、妻の幸せは、イコールではありません。リリーの母の選択も、今の時代なら、違ったかもしれません。
リリーは確かにライルを愛していたと思います。アトラスよりも。生まれた娘に、ライルの亡き兄の名前をつけたのは何故か?不幸な形で兄を亡くした夫を、罪の意識から解放してあげたかったのでしょう。ライルのDVの原因も、そこにあると私も思います。彼を自制できる、知能と理性の比例する人に戻って貰うには、自分たちの存在は邪魔になるとの思いが、あの選択だったと思います。そこには情ではなく、痛みを伴いながらの、確かな愛があったと思います。
DVする人(次いでモラハラも)ってのはね、私は劣等感の強い人がするもの、だと思います。自分の過去を紐解く事から始める事も、映画の中で示唆しています。
敬愛する映画友達に、「ふたりで終わらせる」のふたりは、誰を指すのかと問われ、劇中の台詞通り、私はリリーと娘だと思うとお返事しました。でも原題のタイトルに入っているのは、「わたし達」。この方が作品には相応しいと思います。リリーを取り巻く人々が抱えていた葛藤は、全てDVに繋がっていたと思うから。リリーとライルの別れは、勇気あるものだと思います。
12月03日(火)
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