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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「あんのこと」
赤ちゃんを世話する間に、母性が育ち、生き甲斐になる杏。言いたいことは解りますが、いきなりこれくらいの子を預けられ、世話を出来るはずがない。いくらネットで育児について学ぼうが、想定通りに行かないのが育児です。実の母親だって、ノイローゼになるほどなのに、杏と赤ちゃんの幸せそうな姿のみ映す。この短絡的な描き方は、正直怒りが込み上げました。育児を舐めて貰っては困る。
そして簡単に杏の母が施設内に入ってしまう。管理人が居るとのセリフがありましたが、有り得ません。監視カメラがあちこちに付いているはずで、杏が母に連れ去られた後は、大騒動のはずです。
また売春を強要され、家に帰ってみれば赤ちゃんはいない。母に問うと児相に預けたと言います。このゴミ屋敷の家と、杏の母の身なりを観て、仮に児相が直ぐ来ても、まず警察に誘拐など事件性がないか、連絡するのでは?そうなると、母にも杏にも事情聴取があるはずでが、それも無い。早見あかりの母親も、簡単に見知らぬ杏に子供を預けてしまう、問題ありの母です。たった一日やそこらで、子供は返して貰えません。本当に雑過ぎです。
多々羅の造形もなぁ。あんな形で二面性を表現する必要があったんだろうか?自助グループの閉鎖は、普通にコロナ禍のせいで通じます。却って散漫になった気がします。風変わりな刑事のままで良かったと思います。その分、もっとディティールに拘って、杏と母親にフォーカスした方が、より「あんのこと」が浮かび上がったと思うと、とても残念です。上記により、志は受け取れたものの、作品から感慨を受ける事は、出来ませんでした。
この作品と似たような成り立ちの「夜明けまでバス停で」は、途中から人を食ったような展開になり、あれあれ?と、予想だにしない展開にびっくりしました。私が感じる限り、映画的な、とても丁寧で愉快な「嘘」の仕込みが利いていたように感じ、鑑賞後は思いもよらぬ痛快感でした。その痛快さは、苦境に身を置く人たちへ、負けないで欲しいとのメッセージではないでしょうか?
「あんのこと」は、何て悲惨なと、同情心だけを抱いて貰うだけでいいのでしょうか?その先を考える指針が、この作品にあったでしょうか?映画はどんなに作り込んでも、結局は嘘です。でもその嘘を通じて、感動を与えて感受性や感性を磨き、知識を得、観客の人生に入り込んで行くものだと、私は思っています。そのためには、しっかりした作り込みをして、嘘を本当のように思わせて欲しいのです。
色々苦言を書きましたが、熱意は充分に感じました。それが高評価に繋がっていると思います。もしまた入江監督が、もがき苦しむ人を主軸に据えた作品を作るなら、大いに期待して観に行きたいと思います。
08月12日(月)
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