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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「大いなる不在」
観ている人は自分を捨てた親なのに何故?、または、やっぱり親だから素直に聞くのかと思うでしょうね。違います。形式は父子でも、父親としての認識が薄いから、揉めたくないだけ。この様子も自分と重なり、監督も脚本も、とてもデリケートに演出しているなと、感心しました。
幾度目かの面会の時、幼い卓を殴った事を赦してくれと、涙ながらに語る父。卓は覚えていません。どう答えるのかと、固唾を呑んで見守りました。「覚えていないけど、赦すよ」と答えました。最愛のはずの直美の事は支離滅裂なのに、幼い卓への謝罪は覚えていた父。この時からです、卓の父への敬語が無くなったのは。彼の中で陽二の事を、理性と感情が一致して、父として認識したのでしょう。
私の両親が離婚したのは、私が結婚直後の21歳の時です。私が短大に入る直前の18歳までは同居していましたが、父はほとんど家におらず、三年間の別居の時も、幼い頃からの壮絶な夫婦喧嘩を観なくて済み、安堵したほどです。
母が亡くなり、世間並とは行かずとも、病院に付き添ったり買い物を手伝ったり、それなりの父と娘として接していた時、「お父ちゃんは、男は金を稼いで、家族に贅沢だけさせていれば、何をしても許されると思っていた。でも今はそれは間違いやったと思っている。ケイケイ、お父ちゃんが悪かった」と、私に頭を下げ、謝ったのです。父は認知症はなく、最晩年に、所謂耄碌した状態だっただけの人。85歳くらいでした。卓が託つわだかまりと同様な感情が、私から消え去った時でした。
ベルトがダメになったと言う父に、自分が締めていたベルトを外し、父に締めてあげる卓。「大いなる不在」が完全に埋まった瞬間だと感じ、涙が溢れました。
藤竜也、森山未來が共に絶品の演技です。藤竜也は、インテリの人が認知症になるのは、こういう状態なのかと、深々見入ってしまうと共に、息子と妻に向ける感情の落差も、とても心に響きました。森山未來は、淡々と演じているのに、卓の心の変遷が、画面に映らない、幼い頃から今の感情まで、私に届きました。二人とも、脚本に対する理解力が深いのだと思います。
原日出子も出色です。彼女が直美を演じたからこそ、描かれない直美の内面まで、私に想起させたと思います。主役二人よりも、一番キャスティングが合っていたのは、私は原日出子だったと思います。
この作品では、30年暮らした最愛であったはずの妻より、子供の時捨てた息子を覚えていましたが、これが認知症の全てではないと思います。この逆もあるだろうし、あろうことか、家族は忘れても、他人は覚えていたりもする。世話をする身内は、相手の記憶に自分がいるのかどうか、大いに囚われると思います。それが当たり前です。その時の自分の感情はどうなのだろう?その時、相手との関係性の本質が、浮かび上がるのかも知れません。
地味な作品ですが、私的な今年の邦画のベスト1になる予感がする作品です。
07月21日(日)
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