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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「流浪の月」
作中端的に一番上手く描いていたのは、亮です。「どうせバイトだろ?」「俺の飯は?」等モラハラ発言の数々に、言わなくても良い更紗の過去も家族に話す。帰る場所のない更紗をがんじがらめにしたいのでしょう。そして壮絶な更紗への暴力。田舎の農家の跡取り息子としてのプレッシャーは、帰郷の場面で感じました。他にもこの人にも何かあるんだな、は感じます。それを感じさせてくれたのは、横浜流星の好演です。その辺のイケメン枠の俳優だと認識していたので、敵役なのに、更紗に対しての執着に哀しみまで漂って、びっくりしました。

安西の八歳の女子、梨花を預かる更紗。男と旅行中の安西は、約束の日に迎えに来ない。文も一緒に梨花の面倒をみる。うーん、二人の過去を考えれば、あり得ない。周囲の口に上っている段階で、要らぬ誤解を生む行動は慎むはず。二人ともこれでもかと言う程、嫌な目に遭っているはずなのに。これくらいの人生の経験値はあるはずです。発熱で学校も休ませているシーンもあり。更紗が学校に休みの電話を入れれば訝しがられ、事情を言えば、即行学校から誰かが来ます。児童相談所に通報もあるかもしれない。

それと安西。迎えに来たと言うセリフだけで、謝罪も無く、「ロリコンに娘を提供した!」とのお角違いの訴えもなく、後始末が雑。更紗の小学生時代の行儀の悪さに加え、子供の状況を雑に扱い過ぎです。子供の環境を整えるのはとても大切で、とても手のかかる事です。家庭環境は、この作品の重要なテーマなのに、それをさらっと流し過ぎです。

結果は予想通り。しかし何もない文は今回は無罪放免。ここでまた謝る更紗に、文は全裸になり、泣きながら自分の秘密を明かします。ここはぼかしているので想像ですが、文には性的な第二次性徴が来なかったのでは、ないでしょうか?端的に言うと、性器が成長しなかった。母に自分の発育不全を問うているシーンもありました。

文が性的な興味を持てないのは、恋人(多部未華子)とのシーンで解ります。私は無性愛者だと思っていましたが、身体的なら話が違う。「出来ない」のと「しない」のは違います。少年院に入院する審議で、身体検査はあったはずです。その時、更紗への暴行疑惑は晴れたのでは?これは本人の意思とは関係ない話です。その事で精神鑑定もあったと思う。いくら厳しい文の親とて、息子の身体状況には悩みがあったはずで、裕福なら良い弁護士もつけられて、情状酌量があったと思いました。病院にも通院歴があると思われ、そこからの医師の見解もあったはず。無罪放免は無理でも、鑑別所では?更紗を性的に傷つけたかどうかは、重大な送致される審議になると思います。

文と更紗の心模様、文と母の親子関係、障害など、きっと原作は描き込んでいたのでしょうが、私は映画では二人に寄り添えませんでした。生い立ちからセックスを嫌悪し、自己肯定感の低い更紗。こちらも拭えぬ一生の屈託を抱える文。二人でしか分かち合えない感情は、性愛抜きの人間同士の愛情として、これは有りだと思います。これが救いかな?

撮影監督は「パラサイト」等のホン・ギョンピョ。月の光、水面の輝き、太陽のぎらつきではない優しい光など、美しかったです。「流浪の月」とは、これから流浪の果てにどこに行こうと、二人一緒に月を観ていく、との決意の意味かな?これもお話ししたくなる作品です。

05月22日(日)
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