ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927221hit]

■「リンダ・ロンシュタット  サウンド・オブ・マイ・ヴォイス」
レコード会社がフォークからロック、ポップスと、大衆に好まれる物を敏感に先取りし、発掘していく過程も描かれ、マネージャーやプロデューサーの腕が、如何にアーティストに影響するかも描かれます。そしてツアーからツアーの生活の中、才能の枯渇に怯え、疲弊した心身を癒すのに、アルコールやドラッグに手を出す実態も挿入。

「男性のロッカーたちは、女性のシンガーを敵対視し、見下す事で自我を守る」と言う若き日のリンダ。ボニー・レイットは「いつも私たちは一緒だった。女性シンガーが少なく、寄り添って協力していく必要があった」と語ります。全部今の世にも通じる話しです。彼ら彼女らの語りを過去の物とはせず、今を生きる教訓とすべきだと思いました。

フォーク、カントリー、ポップス、ロックと、世の中の求めに応じてシンガーとして変遷してきたリンダですが、アーティストとして確立した後は、自分の内面と正直に向かい合い、変遷していきます。オペラに挑戦したのは知っていますが、映像を観たの初めてで、上手くてびっくり!声の出し方から、何から何まで今までと違うはずなのに、お見事でした。その後、レコード会社から「売れない」と反対されたのに、母が好きだったジャズのカバーアルバム、父親のルーツであるメキシコ音楽のアルバムを出し、いずれもヒットさせています。恋多き女としても有名なリンダですが、これでもかと、ストイックに歌に情熱を傾ける様子は、恋はしても、結婚しなくて良かったのだと感じます。

イーグルスはリンダのバックバンドだったのは有名な話。当時彼らの独立をバックアップしたリンダは、「女の子をサポートするのは、決してカッコいいことじゃないから」と、「ミュージックライフ」で読んだ記憶があります。ジャズの時は、「シナトラが歌えるなんて、とても嬉しい」と語ります。作品の中で、「自己肯定感が低い」と評価されていましたが、そうでしょうか?これは謙虚な人柄が反映された言葉だと、私は思います。それと真逆な、音楽に対しての強情さ。リンダの多面性が伺えます。

同じ時代に人気のあった、同じくカントリーから出発したオリビア・ニュートン・ジョンが、その美貌から段々女優然として垢抜けて行くのに対して、愛らしい容姿にも関わらず、どこか垢抜けない人だと、私はリンダに感じていました。もちろん、そこも魅力なのだけど。メキシコ音楽の事を表する時、劇中「泥臭い」と表現されて、あっ!と思いました。垢抜ける事は、メキシコのルーツを否定して、自分で無くなる事と、もしかしたら、思っていたのじゃないかしら?ストイックな彼女らしいな。

最後は甥と従兄弟とのセッションが流れます。祖母からの遺伝のパーキンソン病を患い、現在闘病中のリンダ。自分の思うように歌えない今、穏やかな表情に悔しさは伺えません。音楽に捧げた自分の人生に悔いなし、と言うところでしょうか?跪いて、感謝を捧げたくなりました。どうか心安らかに、一日でも長く生きて下さい。ありがとう、リンダ。

05月08日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る