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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ハッチング-孵化」
精神科勤務時代に、院長先生に私の成育を話し、何故私は人格障害にならなかったのか?と尋ねた時、「ケイケイさんは、お母さんのようになりたくないと、強く誓ったのではありませんか?」と言われました。はい、それはもう、強く強く。でもポンコツの母でしたが、子供時代は母が大好きで、私の自己肯定感を高めてくれたのは、間違いなくポンコツながらの母の愛情です。そう考えたら、まだまだ幼いティンヤの気持ちに、心が締め付けられます。
ティンヤの涙で成長したアッリは、憎悪・暴力・悪意・嫉妬など、負の感情の塊に育ちます。アッリは感情を吐き出せない、ティンヤの想念が作り出したものなのでしょう。数々の惨劇のあと訪れた最大の悲劇に、これから両親が(父も同罪)に残酷な日常が訪れるんだと思っていました。
ところがH牧師のお説教で、それでガラッと感想が変わる。「マ・・・、マ」の絞り出すあの言葉は、母の中では、黄泉がえりではなかったか?その時の呆けたような母の表情は、私が観たいように見ればいい。あれは恐れつつ、幸福を滲ましせた表情ではなかったか?お説教の後には、私にはそう感じました。母よ、恐れるなかれ。その幸せを、娘を信じなさい。そして母娘二人、それぞれの壮絶なやらかし。無関心だった父も含め、家族がこの後、茨の道を歩み贖罪の人生を歩んだ時、そこにこの母と娘、家族の、見栄や嘘のない、本当の幸せが訪れるのではないか?そう感じるようになりました。作り手がどのようなメッセージをラストに託したか、私には解りません。でもこの私の感想は、私自身を幸せにするもの。だから私はこの解釈を選択します。
母やティンヤの母のような人の特徴は、「足るを知る」を知らない事です。誰もが羨むものを手に入れても、満足せず、人の賞賛だけが自分の価値になる。我がままで強烈な自我を持つのに、本当の意味での自分軸がない。母のお陰で嫌味ではなく、私は人生に必要なものは、「足るを知る」だと悟り、感謝しています。その中で精一杯頑張るのは向上心で、野心にはならないから。
H牧師に、その私の座右の銘を、これだ!と、思える詩をご紹介いただきました。私の感想を読んでいただく皆さんにも是非ご紹介したく、ここに記しておきますね。作者不在と言うのも感慨深い。因みにワタクシ、キリスト教は、からっきしです。なので皆さんの心にも届くといいなぁ。映画はね、観る人が観たいように観る。これに尽きます。偶然は必然を実感しています。
大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった
より偉大なことができるように 健康を求めたのに
より良きことができるようにと 病弱を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと 生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
04月24日(日)
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