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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「プロミシング・ヤング・ウーマン」
そしてカースト上位の女学生だったマディソンも、「泥酔したニーナが悪い」と言う。多分レイプするために、無理に飲まされたのを知っているのに。何なの?この女たち?夜道を歩いていたからレイプされた、肌を露出した格好をしていたから痴漢にあった、だから「される」女が悪い。それを「今の時代」の同姓である女性が言うの?今も昔も、女性が男性と対等の地位に上ろうとすると、男になるか、男に媚びを売るかになるのでしょう。

そしてマディソンは結婚して、双子を出産。医学の医も語らず、話は家庭の事のみ、せっかく勉強したのにそれを生かせない現状に疑問も持たない。それはもちろん社会のシステムも不条理なのです。しかし、マディソンはそのことすら、意識外に見える。監督は世界中の「ヤング・ウーマン」を取り巻く環境の厳しさを、描いていると思います。敵は男だけじゃないわけです。選民意識を持った女性も、また敵なのです。

たった一人、関係者でキャシーが許した人がいます。事件の相手方の弁護士(アルフレッド・モリーナ)です。お金のため、悪事を働く男どもの弁護を引き受け続けているうちに、良心の呵責に耐え兼ね、精神を病んでしまい、仕事が出来なくなっている。あれは昔の事で、若気の至り。悪かったよ、今の立派に更生した自分を見て。反省の証しだよ。あなたの大切な配偶者や恋人や親や子供や孫や兄弟や友が、加害者にこう言われて、あなたは許せますか?私は出来ない。全力で社会的に抹殺してやりたいと思うでしょう。キャシーはこの弁護士には、あなたを許すわと言います。何故か?彼は罰を受けて、悔い改める人生を送ると誓っているからです。

キャシーから手痛いしっぺ返しを受けたマディソンは、「これ切りにして」と、ある物をキャシーに手渡します。ここからは、だいたい予測出来ました。
「告発の行方」は、1988年の作品。この作品で、レイプを観ながら囃し立てた男たちは、有罪になります。なのに現実はそこからちっとも前進していない。監督はここも意識していたのかな?尋ねてみたいです。

ロマンチックな陽光に照らされていた自分が、いきなり暗闇に突き落とされたのです。二度目はもっともっと暗い。絶望しかなかったでしょう。ラストの展開は、私は自傷行為ではなく、キャシーが自分の人生にケリをつけたかったのだと思いました。

最後まで過去の自分と今の自分は別人。これでいいだろう?の男たち。そこには限りない「その他大勢の女性」への蔑視がある。無知は罪だけど、無自覚も大罪だな。ライアンに届く人を食ったようなキャシーのメールに、思わず微笑んだ私は、その後哀しくて哀しくて、涙が止まりませんでした。決してハッピーなラストではないけれど、私はキャシーは救われたと思いたい。

聡明で繊細な女性の役どころが多いキャリー・マリガンですが、この作品の七変化の熱演は、本当に素晴らしい!どこかの評論家が、この役はプロデューサーに名を連ねるマーゴット・ロビーが相応しい。キャリーでは男を誘うセクシーさが足りないと書いたと読みました。その人、この作品の何を観ていたのか?泥酔した女を持ち帰る男は、セクシーさなんか関係ないのよ。大事なのはレイプしても気が付かない程、泥酔しているか否か。キャリーくらい可愛かったら、めっけもんなんだよ。キャシーは30歳と言う年齢と不釣り合いな、ドールハウスのような部屋に住んでいます。それも親の家。いつまでもガーリーな服が良く似合い、それが彼女の本質で、大学中退してから、彼女の人生は止まっていると表している。

なので、ガーリーなキャシーも、男を誘う蓮っ葉な姿も、両方痛いのではなく、痛々しい。この複雑で哀しいキャシーを演じるのは、私はキャリー・マリガン以外、いないと思います。

予想とは全く違う作品でしたが、特異なプロット・演出に、普遍的な若い女性の生き辛さや苦悩、問題点が散りばめられ、それがズバッとハマった見事な作品。傑作です。

07月17日(土)
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