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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「素晴らしき世界」
周囲の人が、決して三上に振り回されず、自分の立ち位置で見守る事様子は、本当に温かい。そのまなざしは監督が三上を見つめる眼差しだと思いました。しかし、三上を支える人々以外の堅気の世界は、やくざの世界とはまた違うストレスが充満しています。そして辛辣に、三上を責め立てるのです。

入れ墨の解釈を聞くまで、私は三上は「普通のやくざ」であったと思っていました。しかし、あの下書きだけの入れ墨は、彼は普通以下の三下やくざだと語っているのです。ポスターやチラシで、その姿を映しているのは、下書きだけを見せたかったから。三上は言葉や暴力で相手を威嚇しても、片肌は脱ぎませんでした。彼の「恥部」なのでしょう。

三上の様子から、痛みから逃げ出す事は考え難い。多分墨を入れるお金がなかったのです。そう思うと、あれもこれも合点が行くのです。組長の名前を出しても、そこの組員ではなく、懲役前はどこの組にも属していなかったのは、年が行き居場所がなかったから。下稲葉の組に、足を引きずる老やくざが、お情けで居ましたが、その老人も下書きだけの入れ墨でした。彼を映すのは、やくざに戻れば、それが三上の行く末だから。理解していないのは、三上だけです。

陰湿に知的障碍者を虐める輩に、手出ししなかったのは、庄司夫人の「怒っても一旦深呼吸して。そして私たちの顔を思い出して」と言う助言からです。しかし二度目に我慢したのは、「あの子、昔やくざの組に居たんだって。あれでね〜。どうせ鉄砲玉だったんでしょうよ」と言う言葉に、それは自分だと、やっと悟ったのでしょう。今の今まで、彼は自分を「普通のやくざ」だと思っていたと思います。否定していたのではなく、自覚がなかったと、私は思います。

そして三度目の泣き笑いは、知的障害の彼と同病相憐れむ切なさ、初めて己の値打ちを知る辛さ、それと同時の安堵。入り交じった複雑な笑顔を浮かべる三上。自分の人生が根底から覆る事です。勇気のいる事で、私は立派だと思います。その時はまだ十分に考察出来ていなかったものの、私はこのシーンで号泣しました。多分頭の解釈の前に、心が動いたからだと思います。それ程役所広司の演技は素晴らしかった。

他に感じ入ったのは、老いた二人の妻です。庄司夫人の心尽くしや助言の数々は、若い娘なら三上の心に響かなったと思います。下稲葉夫人しかり。役に立つはずもないのに、今までの三上なら、男が立たないと抗争に入っていったはず。彼女だから止めたのでしょう。堅気の賢夫人とやくざの姐さん。各々の世界で酸いも甘いも観てきた人の、醸し出す温かさ。私もこんな女性たちになりたいと、心から憧れました。

私がこの作品を緊急事態宣言が解けなくても観たかったのは、原作が佐木隆三だったから。私は「復讐するは我にあり」が大好きです。「復讐〜」は、当時当代一の名優緒形拳が主演でした。この作品も、現在の当代一の名優役所広司の主演。この作品も、長く語り継がれる作品であるよう、熱望します。娑婆の人々に、津乃田の慟哭が届きますように。

02月14日(日)
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