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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「葛城事件」
劇中唯一幸せそうな場面は、母と息子二人が粗末な食卓を囲む場面です。例えカップ麺であっても、お腹は空いていないかと、長男を気遣う母。兄には暴言しか吐かない弟が、三人だと、ぎこちなくでも兄と会話するのです。これが母親の力なんだよと、涙が止まりませんでした。

家庭に置いては、母親とは絶対的に優位なのです。だから私は、妻は母は、誰より家庭に責任があると思う。暴君でいつも暴力をふるっているようなイメージの清ですが、伸子に手をあげた場面は一度だけ。暴力は絶対ダメですが、理解は出来る場面です。その夜、眠る伸子に抱き着く清。猛烈に拒絶する伸子。私なら、そのまま抱いてあげるのになと思いました。

結局自責の念で自殺してしまう保。保の通夜に、手つかずで何皿も置かれた寿司桶は、通夜の参列者の少なさを表しています。友人もいなかったのですね。姑である伸子は「あなたが殺したのよ」と言う。でも保の妻は、夫の実家に殺されたと言いたいのです。誰にも責任はないと、思います。でも敢て言うなら、私も責任の重きは保の妻だと思う。妻は幼い子供二人のかかりきりで、クビを言い出せない夫の言動に気が向きません。何度も挿入されるこの場面。男って、手がかかるのよ。見守るのは、子供だけではダメなんです。

酔狂でトンチキな自己愛女の順子に、「俺が三人殺せば、俺と結婚してくれるのか?」と清は迫ります。「ふざけないでよ!」と、拒絶する順子。いやいや、ふざけているのは、あんたでしょ?私はずーと、あんたが救われたいのなら、世話するのは稔ではなく清だよと、思っていたもの。壁一枚で身を守って、傷ついたふりしていても、現状は打破出来ないのよ。

伸子の顔の痣は、清ではなく稔でしょう。これは通り魔事件へ繋がるサインではなかったか?母は水に流してしては、いけなかったのですね。横柄な屁理屈ばかりこねる稔が、たった一度順子に向かって吐いた本音は、通り魔事件の加害者には、誰もがなり得る可能性があるのだと、痛感します。

「お父さんが好きなの。だから、別れたくない」。「僕たちの家族」で、原田美恵子のお母さんが言った台詞です。世の夫に一番大事な事は、妻に愛され続ける事じゃないでしょうか?それが主婦に力を発揮させる秘訣なんだと思う。家族って何だろう?家族の笑顔が観たい。悲しませたくない。役に立ちたい。愛し愛されたい。至ってシンプルなのに、これがどれ程困難か。わかり過ぎるくらい理解出来る四人を通して、もう一度自分の家庭を見つめたくなりました。

三浦友和(大好演!)からは、「この作品からは絶望ばかりではなく、希望も感じてほしい」と、書いてありました。うん、希望と言うか、勉強になりました。三男の言葉に恥じない母であり、妻でいたいと思います。そして身近に伸子がいたら、お友達になりたいと思います。

06月23日(木)
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