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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「国際市場で逢いましょう」
当時58歳目前。仕事に関しては辛抱強い人で、自分から辞めたいと言った事は無い人です。様子がおかしいので、夫が言い出したら、いつでも辞めて良いと言おうと、心積もりは出来ていました。その時長男が夫に「息子が三人もいてるやんか。こんな時は自分たちを頼って欲しい。お母さんも働いてるやん、休みたいだけ休んでや」と言った言葉に、男泣きに泣く夫が、「俺が頑張って親兄弟のために働いたからや」と言うのです。
夫はその事について、苦労したとか、自分は偉かったとか、私や子供に言った事は皆無でした。いつも当たり前の事をしただけと。その時初めて、姑の言った言葉の意味がわかりました。ドクスが父の写真の前で、「辛かった・・・」と言った時、苦労はしていない、でも辛かった。義兄や夫もそうであったのだろうと、涙が溢れました。この場面でドクスに似た人を思い浮かべたの、私だけではないと思います。韓国や日本で、たくさんそうした人がいたのでしょうね。
そんな夫ですから、兄と二人で家族を養うより、自分一人で私一人を養う方が楽と、結婚してからの方が遊びだします。子供が生まれても自覚なし。自分の親兄弟の為なら我慢できたのに、妻子には出来ないのか!と、私は何度激怒した事か。あれはドクス程には苦労していなかったからだと、妻にも気配り出来るドクスを観て痛感。夫ももっと苦労してたら良かったのに(笑)。
夫は家族の愛情を描く映画やドラマ、ドキュメントを観ても、還暦を過ぎた今でも、親子の愛情にしか涙腺が動かない人でした。それも自分が親の立場ではなく、自分が子供として見るのです。夫婦ものには心が全く動かず。それが朝ドラの「マッサン」を気に入って、観られない時は録画して、総集編まで観ていました。そしたら妻エリー亡き後、妻からの手紙を読みながら涙するマッサンを観て、夫が泣いているのです。驚愕。でも、もうどうでもいいんですが(笑)。私が夫の実家がアウェイだった時に泣いて欲しかったなぁ。
この作品の中で、外国人に向かって二度ほど自分たちの事を、「哀れな韓国人」と赦しを乞います。今では時代が代わり、韓国が移民を受け入れる側。ドクスを通じて、哀れだった時代に持っていた韓国人の矜持が、豊かになった今は、失われてしまったと、訴えていたと思います。
コモ(父親の女兄弟)から受け継いだ店を、ドクスが頑なに守る事に拘ったのは、弟妹を結婚させ、子供を成人させ、母を見送った今、彼に人生に形として残ったものだからだと思います。それを吹き飛ばさせたのは、長年彼を支え、苦労をかけた妻の「愛しているから」の言葉だったのは、嬉しかったです。
形としても残っていますよ。ドクスは「親は家族じゃないのか?」と、家族旅行に行く子供たちに怒っていたけど、ちゃんと「これ法事のお金」と、妻に渡していたでしょう?親孝行は自分のため、なんですね。
06月06日(土)
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