ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927812hit]

■「イラン式料理本」
出てくる料理は軒並み五時間以上かかるのに、老いも若きも夫たちは一様に、「一時間くらいか?」とのたまう。あんたたち、バカですか?当然の如く後片付けも労いの言葉もなし。妻たちが痛々しくて見て居られません。その中で異彩を放つのが監督のお父さん。監督の母はイラン型良妻賢母と言う風情で、穏やかな優しそうな人です。お父さんもまた、この年代には珍しく、後片付けを手伝い、妻に労いや感謝の言葉を忘れません。この夫にしてこの妻ありなのでしょう、一方通行ではこうは行きません。一方監督の義母さんは夫を教育して、「今は優しくなった」のだとか。あら、うちと同じね。この辺の事情も、どの国にも当てはまります。

私の母は料理下手でした。当時まだ珍しかった冷凍食品がお弁当に詰められ、女の子のお弁当なのに彩も考えず、茶色ばっかり。色取り取りの友達のお弁当が羨ましくて。夕食はと言うと、市場の天ぷらやさんで「別注で揚げてもらったから」と鼻高々で冷えた天ぷらを出され、肉屋でまた別注でオーダーカットした、サーロインステーキとご飯「だけ」、味噌汁もサラダもなしの、豪華で貧しい食卓。煮物などはお惣菜屋さんで買い、気合が入るのは法事とお節だけ。時々手料理は作りますが、魚を焼いただけでも「手料理」なので、自分は料理が上手いと錯覚していました。

文句は言いたかったけど、言いません。言うと天地がひっくり返るくらい怒るので。母が料理に情熱を持てなかったのは、夫である私の父との不仲が原因です。子供は愛していても、砂の城のような家庭は愛せない。なさぬ仲の息子たち(私の腹違いの兄たち)の料理なんか、作るのはまっぴら。でも自分の娘たちは可愛い。それが子供には分不相応な、オーダーカットのサーロインだったり、特上の握り寿司が食卓にしょっちゅう並ぶ理由です。

料理というのは、作るだけじゃない。予算を決めてスーパーに行き、材料を吟味して調理にかかり、後片付けまで。家族の誰かが風邪をひけば温かいものを、お腹をこわせば消化の良いものを。今日は上等のお肉が安くてすき焼きにしたいけど、夫が職場の宴会なので、別の日にしましょう。こんな風に家族の顔を思い浮かべながら、主婦は毎日の料理を作っています。だから、家のご飯を食べたら、ホッとするでしょう?それは家庭の味=妻・母の愛情だからです。

長男次男が小さい時、夫婦喧嘩して夫が出ていった後、床に座り大泣きしていた私に近づいてきた三歳の長男は、ぞうきん(小さいので、タオルを置いてあるところまで背が届かない)を持ってきて、私の涙をふいてくれました。「お父さんが悪いねぇ。お母さんは悪くないよ。僕、わかってるから。でもお父さんの晩ご飯は作ってあげてね」と言います。近寄って来た次男共々、ついでにぞうきんも握り締め、そんな長男を抱きしめて、また大泣きする私。そして気を取り直し、幼子二人を自転車の前と後ろに乗せて、スーパーに買い出しに行った日が、昨日の事のようです。

監督の友人は、童女のような100歳の母を愛しげに何度も抱きしめ、そしてキスする様子が微笑ましくて。もう料理は作れなくて、まだらボケのようなママは、でもしっかり料理のレシピは覚えており、語ってくれるのです。この母と息子にも、私と長男のような思い出があるのかな?彼にもお袋の味は、記憶に舌に、しっかり残っているのでしょう。

母の料理に不満がいっぱいだった私は、結婚したら、ご飯は絶対手料理中心で、と決めていました。うちの息子たちは有難い事に私の手料理を、「お母さんの料理は美味しいか、めっちゃ美味しいの二種類しかない」と言ってくれます。あな嬉しや。夫はと言うと、毎回「今日は美味しかった」ですと。毎回なら「今日も」やろ?また教育しなきゃ。本当に息子三人、心身ともに健康に育ってくれて嬉しい限り。これみんな、私の作るご飯の御蔭ですから。夫よ、わかってる?

料理を征する者は、家庭を征す。若い奥さん方、家庭のイニシアチブを取るには手料理ですよ。くれぐれもあっと驚く映画の結末のようにならない事を祈ります。ご主人方もね。

10月20日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る