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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「犬の首輪とコロッケと」
そしてタイトルの首輪とは、なんと外国人登録証の事。バイクで違反したセイキに警官(今田耕司)が免許証を提出させますが、韓国人だと知ると、和やかな態度を一変。外国人登録の提出を求めます。私たちには、携帯の義務があるのですが、普段は忘れていることが多いのです。忘れたと答えるセイキに、「あれはお前らには犬の首輪といっしょや」と言われ、激怒したセイキは警官をフルボッコ。今はそんな失礼な事を言う警官は減っているでしょうが、当時はこんな侮辱が平気でまかり通っていたわけ。警察にしょっぴかれたセイキを、今度はお父ちゃんがフルボッコ。しかし無事帰宅を許された息子に、お父ちゃんは微笑みながら、「セキ(訛っていて、セイキと言えない)をどついてもええのんは、お父ちゃんだけや」とつぶやくのです。謂れのない侮辱に反抗した息子を理解しているのですね。しかし暴力は悪い事。でも侮辱した奴らに息子がどつかれるくらいなら、自分がどつこうと言う事です。この辺は短い描写ながら、とても上手く心情が伝わります。犬の首輪=外国人登録=在日の象徴と言う意味だったのか・・・と、何だか胸が詰まりました。

ミチコさんはとても素敵な女性で、母のいないセイキを、豊かな母性愛で包み、決して彼を否定しません。「ミチコさん」「セイキくん」と呼び合う二人は、きっとミチコさんが年上なのでしょう。何故こんな素敵な女性が、欠陥だらけのセイキをこよなく愛してくれたのか、その理由が描かれず、この辺は物足りません。しかし自分を「昔ダサいと思っていた、真面目な大人になる」と、更生へ導いてくれた彼女への、監督の溢れ出る感謝が画面いっぱいに広がっていて、とても感激しました。多分美化もあるでしょう。しかし監督が未だ独身(のはず)なのは、あんな結末の悲恋だったからなのかと、ここでも胸が熱くなります。

コロッケは、母のいないセイキの家の「家庭の味」でした。お父ちゃんが嬉しい時悲しい時辛い時、セイキに食べさせた出来合いのコロッケが、彼に家族の感謝と生きる希望を与えてくれたことも、ちゃんと感じさせてくれます。

お兄ちゃんはセイキと正反対の温厚な男子で、傍若無人にセイキが振る舞えたのも、長男がしっかりしていたからでしょう。ミチコさん同様、お兄ちゃんの心情も描いて欲しかったですね。他にもセイキのライバル役で良い味を出していた日本人のヤマト(中村昌也)の心模様は出せていますが、もう少し背景を描けば、何故彼が破天荒だけど情に熱い韓国人気質に憧れに似た感情を抱いたのか、解りやすかったと思います。ニューお母ちゃん(後妻)に骨抜きになるお父ちゃんの描写も、相手はどんな素性か、経緯だったのかを、あんなコント風にではなくきちんと描きべきです。時間が90分足らずの作品で、もう15分長ければ、描けていたでしょう。この辺が足りていれば、力作から秀作に格上げ出来たはずです。

変な大阪弁を話されてはいやだから、の理由で、ネイティブ大阪人をキャスティングしての演技人も、全く違和感なくとても良かったです。特にぐっさんのお父ちゃんは出色。今田やサブローの出演は、友情出演でしょうが、出すなら吉本新喜劇の人の方が良かったかも。少し浮いて感じました。他には生野の風景ですが、ちょこちょこ現在が映っていたのはミステイク。「ビス千代」は当時は千代市場でしたよ。桃谷のコリアタウンも、当時は猪飼の朝鮮市場と呼ばれており、あんなこじゃれた門はなかったです。

しかし、初監督作でこれだけ描ければ充分及第点です。監督が心を砕いて描いたそうな、「親に感謝」と「前を向いて生きる」と言うメッセージはとても伝わりました。こんな暴力少年が、一度も父親には手を上げず、殴られっぱなしになっていた事に、注目して欲しいと思います。差別や貧困も、腕っ節と涙と笑いで吹っ飛ばしてきたセイキが、人に笑われるのではなく、笑かす仕事として、お笑い芸人を続けていこうと決意しているようなラストも、後味が良いです。


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02月19日(日)
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