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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「サラの鍵」
真実を知ることは痛みを伴う事もしばしばです。だから私は嫁及び婿と言う立場の人間は、自分が結婚以前の連れ合いの家庭の出来事が、良きに付け悪しきに付け、立ち入ってはならないと思っています。そこには当事者しかわからぬ、歴史があるからです。ジュリアがジャーナリスト魂で真実を暴露するなら、立ち入らず見守るのが私の妻としての美学です。家庭に波風立ててまで仕事をするなんて、そんなの男の専売特許で結構。女性が男性と対等に社会で権利を得るのは、決して男性と同じになる事ではないはずです。ジュリアを観ていると、真実を知りたいのは女性、臆病になるのは男性だと思うと同時に、でしゃばるのも女性だと感じました。
思うにサラは、「鍵」を受け取ったのは自分だと思ったのでしょう。映画は最後の方で、「鍵」を受け取ったのはサラの息子(エイダン・クイン)で、ジュリアの傲慢さをたしなめ、反省させていたのは、とても救われました。
サラが困難にぶつかると、必ず彼女を助けてくれる人が現れ、その度に人の世は捨てたもんじゃないと感じます。特にサラの素性を知りながら、愛情を込めて育てた老夫婦が滋味深いです。サラは彼らに感謝していたのでしょう、家出してから、彼らの性を名乗っています。名前を大切にしていたサラらしい恩の返し方だと思いました。結婚してからもうつ病に悩まされたサラ。それは自分だけが助かってしまったという、自らを責める気持ちと、幸せになりたいと思う気持ちが、常に彼女を葛藤させていたからだと思います。なので安心して暮らせる場所が見つかると、いつもいつも逃げ出したのだと思います。とても痛ましい気持ちになりました。
最後に出てくる子供の名前は、ジュリアのサラに対しての贖罪と感謝でしょう。サラの存在を知ったからこそ、この子はこの世に生まれでる事が出来たのですから。大事に育てる、その決意が込められていたと思います。
ラストがとても余韻があり、好印象なので、結果としては良い映画だったと言えますが、上記の私の嫌悪感で、好きな作品だとは言えません。だいぶ期待していたので、ちょっと残念です。もっと過激な内容と思われている「灼熱の魂」の方が、私には癒され希望を沸かせてくれました。
01月26日(木)
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