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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ハスラー」(午前十時の映画祭)
バート役のスコットが存在感抜群です。「何故お前が負けたか?それは人格の違いだ」「勝負の間に酒は飲むな」など、人生哲学ともビジネス哲学とも、また勝負ごとの教訓も語る彼。全部真っ当な内容です。しかし羽振りが良く大物風を吹かすバート。エディは長年の相棒チャーリーが自分を食物にしていると決別したのに、バートには平伏してしまいます。反骨心も試合をしたい欲望には勝てない。しかしバートは、チャーリーなどよりもっとタチの悪い輩なのです。その事をいち早く察したのは、サラでした。

サラはこの旅でエディと離れる事があったら、それが別れのサインだと思っていたのでしょう。そしてそれは彼女の死を意味します。何度も「愛しているわ」とエディに語りかけた彼女。それが彼女の意味する責任なのでしょう。愛されることばかりを望んでいた彼女が、きっとエディは初めて愛した相手なのでしょう。

自殺するのは大昔もそれなりに意味はわかりましたが、何故バートと情交を結んでから死んだのか、それがわかりませんでした。しかし今回観ると、サラの気持ちが充分理解出来るのです。自分を貶めて死にたいと言う気持ち。そしてバートは、「相棒」の女にも簡単に手を出す男よ。あなたが最高にクールだと思って生きる「勝負」の世界は、所詮はやくざで汚い世界なのだと、命を賭けてエディに訴えたかったのだと感じました。

ラストの再びの対決場面は、もうちょっと長く描いて欲しかったな。でも「俺は今までの俺じゃない。あのホテル(サラが自殺した場所)で全て学んだ」的セリフは、「彼女を愛していたんだ」と言うセリフの答えでしょう。明日の事などわからぬ浮き草の自分だから、愛するという言葉は、サラには言えなかったのです。サラの気持ちが通じるのを感じました。

そして化けの皮の剥がれたバートの様子は、今までの大物感から一変し、狐のように小心で狡い男になっていました。これが彼の本質なのです。もっと言えば、それが「ハスラー」と呼ばれる彼らを食いものにする賭博の世界です。あの立派なファッツまでが、長いものに巻かれています。嘘と欲だらけの世界で、エディは生きてはいけないのだと言うサラの願いは、正しかったのですね。戦いの後「いい腕をしているな」「あんたもな」と、お互いを称え合うエディトとファッツ。やっとファッツと対等になれたエディがいました。

ニューマンのあの素晴らしく美しい目が、色覚異常なのは、広く知られているのでしょうか?裕福な家庭に生まれ、容姿にも恵まれ、育ちの良さが全身から溢れている彼が、何故アウトロー的役柄を好んだのか?それはどんなに頑張っても、100%の人生などないと、生まれながらに知っていたからではないでしょうか?人の痛みがわかり、弱い立場、辛い境遇の人への共感が生まれ、数々の名演技に繋がったのではないかと思います。

では最後にただいまの私の携帯の待受画像をどうぞ。私は世界一美しい男性は、若い頃のニューマンだと思ってまーす。


01月08日(日)
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