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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「エンディングノート」
秒読み段階になった砂田氏が、長男と葬式の段取りを確認し合っているのに、仰天した方もいるかも。私は理解できました。いくら死が目前に迫ろうが、当人も家族も、あまり実感が湧かないのです。仕事のように段取りを取り合う彼らに「男同士の会話だわね〜」と言う看護師さん。クスクス笑ってしまいます。そう、死の間際だって笑いはあるものです。
それと同時に、やはり涙にもくれるものなのです。家族全員が砂田氏を囲み泣く様子には、私も号泣。映らぬ監督ですが、カメラを抱えて涙する様子が見えるようでした。砂田家は平凡ながら、今の世の中では恵まれた家族だと思います。しかしその恵まれた人々でも、等しく死を迎えるのです。長年添い遂げた妻、優しく両親に寄り添った長女、姉妹に挟まれ男一人の責任を真っ当しようとする長男、そして身分の軽さを利点に、父の人生を肯定して描きたい次女。そして威厳と愛情を家族に振りまきながら、逝ってしまう父。この作品の秀逸なところは、観ている人は家族の誰かに、自分を置き替えて観られる事だと感じました。
私は当然夫人です。夫の「愛しているよ」の言葉に応えた夫人の言葉は、「私も一緒に死にたい」でした。長年葛藤があった夫婦仲が、夫の定年を機に週末婚に切り替え、新たな夫婦のステージに日が差した矢先の病でした。風通しの良い関係になって、夫と妻と言う呪縛から解き放たれて、お互いが理解できるようになったのですね。これも良くわかるなぁ。私も夫の事を、ただの友人なら何の文句もないのに、何故夫だとこんなに腹が立つのかと、長年悩まされたものです。執着の愛は複雑なものです。
明るく心豊かなお葬式の様子に被る砂田氏を想定したナレーションは、残した妻を心配する言葉の羅列でした。これをクローズアップしたのは、苦労をした母への、娘からのプレゼントでしょう。ドキュメントは事実を映しますが、その場面の取捨選択は、監督にあります。実際は他にも家族間の諍い、死への恐れなど、映すには忍びない場面もあったでしょう。しかしこの作品に映る砂田氏と家族の様子も、紛れも無い事実です。「幸せだった」と言う父の人生を、心豊かな記録として残したいと言う娘の気持ちは、充分に観る者を感動させるエンターティメントに仕上がっていました。
監督の師匠である是枝裕和は、実は監督が身内を映すドキュメントなんて、もっての他だと思っているのだとか。それがこの作品を持ち込まれて、その思いが完敗。プロデューサーとしてお金まで出したんだって。砂田監督才能ありますよ。私は次作も是非観たいです。またお金出してあげて下さいね。
10月11日(火)
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