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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「人生、ここにあり!」
彼らの生き方を変えられると思っていた、自分の傲慢さを反省し、落ち込むネッロ。これも指導する立場の経験のある人なら、相手は精神病患者に関わらず、誰もが経験する自己満足の結果です。しかし感情の起伏を抑えるのが苦手な彼らは、想像を遥かに超えたことを仕出かしてしまい、取り返しのつかない結果を招く事もあるでしょう。彼らと深く接するならば、やはり前もって勉強した方が良いのだと思います。
女性と経験のない彼らが、国から正規の助成金を得て、その道のプロと初体験する件は爆笑ものです。恋もセックスもきちんと描くのは、情熱の国イタリアですね。しかし実際はその事に盛大にお金使って、食費にも事欠く人もいるので、私には正直映画の中での笑いだけに留まってしまいました。
仕事をして、自分たちの存在意義を確認した彼らが、落ち込むネッロに対して行なった事は?これは大いなる成長で進化です。デルベッキオ医師の保護の下にいたのじゃ、この成長はなかったはず。それを素直に認める老医師の姿も素晴らしいです。笑いと涙に包まれながら、精神病患者と一般社会の共存を見事に示唆した、本当に立派な作品です。
出てくる患者たち、気持ち悪かったでしょう?そう思って良いんですよ。受付にいて、私だってそう思う患者さん、いますから。自分の清潔に気を配れないので、臭い人不潔な人が多いのも特徴で、顔をしかめることもしばしば。それは差別でも何でもないと思います。ただ病気持ちだからと言って、むやみに怖がらないで欲しいのです。心の綺麗な人、根性の腐ったの、したたかな人、優しい人、色々いるのも普通と同じ。心をニュートラルにすれば、気持ち悪いがキモカワくらいにはアップするから、あら不思議。
実際の現場は、この映画のように笑いが絶えず楽しいです。それは嘲笑ではなく、ファニーな笑いです。一般的に連想される、生気のないどよ〜んとした空気は、ありません。この作品以上に手強い患者も多く、ネッロのように落ち込む若い職員さんを観て、ただの受付の私は痛く同情してしまい、何とか後方支援できないか、考える日々。そういう職場が精神科です。ただヴァイタリティはイタリアに負けるかな?
私にも気になる患者さんがいて、私の顔を観れば、「今日はデイ(ケア)休む」「お腹痛い」「デイのあとは(グループ)ホームに帰れへん」「明日は静岡まで行く」(行くと言ったら本当に行ってしまうのだ)と、一方的に話す彼。これ全て甘えで、私になだめて欲しいのです。この手の甘えは若い職員にはせず、私を含むオバチャン職員にしかやりません。おばちゃんたちは、いい年こいた彼が、子供にしか見えないという母性本能をつついた、高等技術です。そういう人を見る目(?)があると言うか、悪知恵があるのも、普通の人といっしょ。それが最近、「どんな絵を書いて欲しい?」とか、「どこから来てるの?」とか、私に質問するのです。一方的な会話に慣れていた私は、もうびっくり。嬉しくって。でも次の日は知らん顔です。私も精神科に勤める端くれ、ネッロのように先を急がず、彼が歩み寄ってくれるまで、待つとしますか。
08月21日(日)
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