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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「玄牝−げんぴん」
高揚して語りまくる自然分娩推進派の産婦たちには、正直げんなりしてしまいました。怖くはないけど、一種盲心的な宗教めいたものを感じます。お産のシーンも何度か出てきます。煽情的なものはなく、神聖な雰囲気は出ているところに好感は持てますが、出産の瞬間だけ映しちゃ、反則でしょ?その前の段階の痛い痛い陣痛を経るから、出てくる瞬間「気持ちいい」わけです。あれだけ観りゃ、「お産=気持ちいい」と誤解されます。お産は決して不浄なものではありません。しかし実際の現場は決して美しいわけでは無く、汚物や血液にまみれるものです。自然分娩を謳うならそこを撮らないのも反則。出産に一番適した言葉は「厳か=おごそか」かな?粛々と行うもので、私は夫や子供には見せたくありませんでしたが、この辺は人によると思います。

とまぁ、前半はダメダメでしたが、後半になると父に反抗する吉村院長の娘、院長に不満のある助産師さん、集まった妊婦さんの様子に圧倒されて、ここで妹は産まなかったと語る助産師さんの言葉、他院に救急搬送されて、帝王で産んだ産婦さんが、素直に医学の力に感謝したりが出て来て、公平な視点を求める監督には、好感が持てました。しかしこの辺も踏み込みが甘い。

娘は他人ばかりに一生懸命で、ほったらかされた実の子の気持ちを訴えます。でもそれは観方を変えれば、医師としての吉村院長への称賛です。看護師さんの不満の中身もわからない。帝王で産んだ産婦さんの言葉が引き出せたのはお見事ですが、最終的に帝王になるなら、助産院ではなく「医院」と名乗るなら、何故吉村医院でオペしないのか?吉村医院は院長以外にも医師はいます。産科は現在全国的に崩壊状態。自分たちの病院でも手に余るはずなのに、どこの施設でも普通に帝王に切り替える分娩を持ち込まれても、正直搬送先は迷惑なはず。提携先の病院関係者にもインタビューすべきです。医師として産科の先進医療に頼る現状を否定ばかりする吉村医師ですが、私には疑問が残ります。

他で経膣分娩は無理と言われたが、ここでは経膣で産めたという産婦さんは感謝の言葉を述べます。でも具体的に何故帝王をすすめられたか、状態の説明はなし。途中で妊娠中毒症が出たらどうするのか、40歳以上の高齢出産の人は受け入れるのか、その辺は全く描かれていません。出てくるのは30前後の健康そうな妊婦ばかりです。ハイリスク妊婦の問題はスルーです。医療現場のドキュメントを撮るなら、最低この辺は描いて欲しい。監督の認識不足は否めません。

ハイライトは一見傲慢に「自然に生まれない者は死んでも構わない。神の摂理だ」と語る院長が、涙しながら本音を語るシーンです。私は五体満足に生まれ母子ともが健康であって当たり前という、現代のお産の風潮には疑問があります。人である以上、どんなに尽力しても、救われない命はあるはず。母子ともに健康であるのは有り難い事で、人ひとりこの世に産みだすのは、今も昔も命懸けであるには代わりないのです。同じ意味の言葉をこの老医師から聞け、その事をわかってもらう術がわからないと言う院長。医師だからこそ悩み苦しみ、自己主張の強いこの信念に辿りついたのだなと、理解しました。

監督は「子供は独りで生まれてくるのではない、たくさんの人の思いを受けて生まれる、その感動を伝えたかった」と語っていました。私も全く同感です。でもそれは帝王切開や人工的に介入したお産でもいっしょです。それが何故吉村医院なのか?は見えてきません。自然に拘る吉村医院は選択肢の一つであるだけだと思います。

私が子供を産んだのは全て個人の医院で、有床診療所でした。エコーでの診察、毎月の検診、要所での血液検査などなど。陣痛が来るまで普通に待ってくれました。なんら吉村医院と違いはありません。違うのは母子が危険ならば、帝王切開も陣痛促進剤も使うというだけです。18年間で、それほどお産現場は変わってしまったのでしょうか?その辺の取材もあった方が良かったです。

私的には未出産の人向けの作品だなぁと思いました。監督によると、昨日母校である高校で試写があったそうで、生徒たちに好評だったとか。多感な時に生と死を真摯に見つける事は良い事で、上手い使い方だと思いました。


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01月09日(日)
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