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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「悪人」
尻軽で虚栄心の強い佳乃。祐一の携帯に残る佳乃の裸体は、若いだけで何の魅力もありません。わざとそう撮っている演出だと思いました。出会い系サイトで知り合った男たちと関係を結んで、お金をもらっていた行動が露わになり、世間から売春婦呼ばわりされます。若さだけが取り柄なのに、こんな上等の女の自分と付き合ったのだから、相手はお金を払って当然だと思っていたのでしょう。思いあがりと間違った自尊心。その思い違いは、佳乃の父親が何度も問う「大事な人はいるか?」という言葉がキーワードだと感じました。

他人から見れば不肖の娘の佳乃。殺害される場面でも、同情さえ沸きません。しかし両親、取り分け父親の娘への思いには、何度も涙が出ました。父が佳乃の幻を見るとき、そこには不純さの欠片もない、愛らしく清純な娘がいます。親に取って子供とは、いつまでも幼い時のままなのです。当たり前ですが、どんな人にも親がおり、その人を「大切に」思う人がいるのだと再認識しました。それと同時に佳乃を観て、大事に思われるだけではいけないのだとも感じます。彼女が両親の思いに応え、本当に自分を大切にしていたなら、決して殺害されることはなかったでしょう。

「光代と出あうまでは、佳乃を殺した事を後悔しなかった。だけど今は、とても後悔している。」と、泣きながら吐露する祐一。光代と言う大切な人を得て、彼の心が成長し変わっていったのです。普段の彼女からは考えられない短絡的で刹那的な行動に出た光代とて、大事な人を失いたくない、その一念だったと思います。例えそれが間違った行動であっても、私は絶対責めたくないのです。

もう一人、強い印象を残す大学生の増尾(岡田将生)。傲慢で尊大、その心ない様子は、佳乃以上に嫌悪を抱かせます。彼の得ている恵まれた容姿や財力は、全て親がかりのものです。それを自分の力だと思い込んでいるので、自分の卑小さに気付きません。増尾の存在は、恵まれない境遇にいる祐一と光代との対比です。前者は平気で人を傷つけ嘲りながら、何の咎めも受けず生きている。後者は決して許されない罪を犯しているのに、理解も共感も出来る。誰が本当の「悪人」なのか?増尾は観客にその事を考えさせるための存在なのでしょう。

「俺はお前の思っているような人間じゃない」「あの人はやっぱり、悪人なんですよね」という二人の言葉の意味。そう思う事こそが、お互いを大事な人であると認める言葉のような気がします。自分を忘れてもらうのが光代のため、忘れてあげるのが祐一の願い。この哀しい逃避行がなければ、決して生じなかった感情ではないでしょうか?

主役二人は上記に記した通り。柄本明と樹木希林の演技は言わずもがな、本当に泣かされました。損な役回りの満島ひかりと岡田将生ですが、満島ひかりの方が演技的には格上を感じさせ、感心しました。でも岡田将生も健闘していたと思います。それよりこの役を二人に振った事で、二人が作り手たちから期待されているんだなぁと、しみじみ感じ、これからも頑張って欲しいと思いました。

「婆さん、あんたは悪くなか!」と朴訥に祖母を励ますバスの運転手(モロ師岡)。増尾の取り巻きの中、一人彼に抵抗感を露わにする友人(永山絢斗)。突然の娘の死に動揺し、亀裂が入りかけるも、お互い支え合って生きて行こうとする佳乃の両親の姿に、人間の持つ良心・善意・勇気が凝縮されて描かれており、決して暗いだけのお話にさせてはいませんでした。

表面だけをなぞり、野次馬的にはやし立てるマスコミに眉をひそめながら、隣人の裏側の実情に思いを馳せる事は少ないでしょう。自分とは縁のないようなセンセーショナルな事件を題材に、実は誰でも祐一と光代になるかもしれないという現代の世相を、二人に愛情をこめて描いていたと思います。彼らを私を救うのは、やはり彼らで私なのだとも、強く感じました。多分今年の邦画の私のNO・1作品だと思います。

09月17日(金)
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