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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ジュリー&ジュリア」
ブログに熱が入り過ぎ、ロムしてくれる人ばかりを気にかけ、エリックとの家庭生活がお留守になってしまうジュリーは、喧嘩して初めて夫が自分の支えだったと思い知ります。ジュリーの敬愛するジュリアは、どんな事があっても笑顔を忘れず、夫を大切にしていました。それに比べて自分は・・・と反省するジュリー。読者が増えた、今日の料理の出来は最高だと一喜一憂する中、ブログを綴る事を経て、人間的に大きく成長していくジュリーに、私は自分を重ねます。

映画が大好きで、映画が好きだと言う人と話をすると、段々相手が引いていくのがわかるのね。自分では普通の映画好きだと思っていましたが、どうもマニアック過ぎた様です。ネットに夢中になったのも、映画の掲示板に出会ってから。そこには私の好きな映画忘れられない映画を語る、評論家以上の人たちが、いっぱいいました。

やがて午前中を中心の仕事に変わり、子供たちの手が離れ出したのを機に、夢にまで見た「映画館で映画を見る」ということが、私の日常で復活します。映画を観る事が一番好き、その次が文章を書くことだったので、勢いでサイトまで作っちゃった。

映画をたくさん見るということは、たくさんの種類の人生の哀歓を見るということです。大まかでは幸せだと頭ではわかっているものの、心の隅では日常生活に、細々不満がいっぱいだった私は、たくさんの人生に触れるにつれ、頭だけでは無く心の底から、私は本当に幸せなのだと実感し始めます。何より主婦の身で趣味として、年間100本前後の映画が見られる生活は、夫がちゃんと働いてくれて、子供たちにも大きな問題がないということです。家族にも感謝の念が耐えなく湧くのです。そして映画から受けた感情を文章にするたび、自分の中からストレスが減っていくのがわかりました。一言でいうと、心が豊かになったのです。

今年の秋、「東京グラフィティ」という雑誌からお声がかかり、恋愛映画について書いてみませんか?というお誘いがあり、少し書かせてもらいました。ほんのちょっとの記事でしたが、私には一大事。実は秘かに自分の書いた文章が、投稿ではなく寄稿と言う形で活字になるのが夢でした。勇んで夫に報告したところ、「良かったなあ、お母さん!」と、夫は私の手をがっちり握り、満面の笑みで応えてくれるではないですか。予想以上の喜びぶりに、こちらがびっくり。夫は秘かな私の夢を知っており、「こんなに一生懸命書いてるんやから、いつか実現して欲しいと思っていた」とのこと。とても嬉しかったです。まるでポールやエリックみたい。でも夫は昔はこんな理解のある人ではありませんでした。私が変わると、夫も変わったと言う訳です。

一皮も二皮もむけながら、前進していくジュリー。そんな彼女に対する存命中のジュリアの反応は、意外なものでした。よくよく考えてみたのですが、出版された本は、ジュリアにとって、子供だったのでしょう。ジュリアは子供の出来ない自分に哀しみを覚えていました。それを365日で全部作ってブログに載せる行為は、ジュリーには人生を賭けた行為であっても、ジュリアに取っては、ゲームに思えたのでしょうね。ジュリーの成長に対して、少々天然ながら、ジュリアは一貫して愛深く心豊かでお茶目な、そして負けない人でした。そこには並はずれて大柄に生まれたこと、子供に恵まれなかった事を受け入れ乗り越えてきた、彼女の人生が反映していたのですね。

自分はパン、伴侶はバターの例えが、最初は夫のポールからジュリアへ、次には妻のジュリーから夫のエリックへ、感謝の言葉として述べられます。自分の人生を味わい深く豊かにしてくれたのは、伴侶だということです。臨機応変に攻守交代、支え合いお互いの人生を深く豊かにするのが、伴侶の務めだと、私は解釈しました。

出てくる料理は本当にみんなとってもおいしそう!でもあんなにバターを使っちゃ、すんごい太るわ。ジュリアの本って、和訳あるのかしら?私も作ってみたいです。さぁ皆さん、監督とジュリアとジュリーの愛情がいっぱい詰まったこの作品、どうぞ「ボナペティ!(召し上がれ)」。

12月17日(木)
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