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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「コレラの時代の愛」
とにかくハビちゃんが上手過ぎです。何度も出てくるげ「幻想」という言葉は、この作品のキーワードで、フロレンティーノは「何度顔を観ても思い出せない」「影のようだ」と称されるくらい、印象の薄い人です。それがどの作品でも存在感マックスのバルデムが演じて、出色の好演なのです。気持ち悪い勘違い男から、永遠の恋の囚われ人であるロマン溢れる男性へと観方が変化するのは、監督の手腕とハビちゃんの演技であるのは、間違いありません。

一番謎だった、51年以上愛し続ける人がいるのに、何故600人以上の女性と関係を持ったのか?という理由も、しごく納得出来るものでした。たくさんの女性と関係を持った彼が、ラスト近くのとあるキス場面で見せる、瑞々しさと恥じらいの籠った至福の笑顔は、精神的な愛は、肉欲を勝るものだと表現しています。

フェルミーナの結婚生活は、あらゆる角度から結婚というものの本質を浮き彫りにします。ウルビーノは彼女を愛していたのではなく、妻として見染めたのでしょう。自分の社会的地位に見合う美しさとそこそこの教養、そして成り金と言えども親には財力もあります。そこにはフロレンティーノのような恋心はありません。しかしながら、長きの間の結婚生活で、「妻への愛」は充分に感じさせるのですから、男と女の仲は、本当にややこしくて難しい。

姑のいびり、夫の浮気。その時々に、夫は妻の願う言葉はかけてくれません。「結婚に幸せは必要ではない。大事なのは安定だ」と本心を妻に語る夫は、浮気を妻に問い詰められると、あっさり白状します。だから別れたのに、何故妻が許してくれないのかがわからない。正直とは誠実とイコール感のある言葉ですが、結婚生活を維持する上で、正直だから誠実だとは言い切れないのだと、強く感じます。それが恋愛とは違うところなのでしょう。

良い夫だったと言いながら、問題の多い夫婦生活だったとも語る老境のフェルミーナ。夫に尽くし良き妻で合った彼女は、夫を本当に愛していたのかどうかわからないと、吐露します。彼女が「夫」を愛しているであろう場面は出てきます。それは長く暮らした夫婦の情の深さを表した場面でした。「夫」ではなく、一人の男性として愛していたのか?彼女は自分に問うたのではないでしょうか?私も誰よりも夫を愛していますが、それは妻としてです。女として夫を愛しているのか?と言う時、まだ男と女として現役の今なら、その迷いも払拭できますが、もしかしてそれは、「夫婦の情」と混濁しているからなのかも知れません。夫と言う名の男性は、この手の葛藤はないと思われ、恋愛だけではなく、結婚生活においての男女差も上手く描けています。恋愛とは違い、結婚すると男はリアリストになり、女は愛と言う名の潤いを求めるのですね。

なのでフェルミーナの51年目のプロポーズの返事は、今の私にはあり得ないことですが、妻という仕事をやり遂げた後の彼女なので、とても納得の出来るものでした。ジョバンナ・メッツォジョルノは大変美しく、51年ひとりの男性から愛し続けられるのも納得でした。一人で十代から七十代までを演じ分け、演技的にも健闘していたと思います。

どういう風に着地するか、皆目わからなかったのですが、ゴールは普遍的でもあり目新しくもあり、とても幸福感に包まれたものです。少し変わったテイストの作品ですが、登場人物の全て、隅々の描写まで味わうことが出来て、私は大好きな作品です。

09月14日(日)
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